「魚の釣り方」と一緒に「釣れる自信」を手渡したい。子どもたちの「学び方」に寄り添い、自律を支える「教える」の本質とは?
「教える」という言葉の裏側で、私たちは何を子どもたちに手渡しているのだろうか。知識を漏れなく伝えなければ、テストで点数を取らせなければ——そんな思いに追われる中で、教える側も学ぶ側も、いつの間にか息苦しさを抱えてしまうことはないだろうか。
長年、公立小中学校の教壇に立ち、現在は教員養成と教育研究の最前線に立つ、熊本大学大学院教育学研究科 特任教授の前田康裕さんは、「伝える」と「教える」は全く別の営みだと指摘する。子どもが自ら学び続ける力を育むために、教師にしかできないこととは何か。
最新著書『まんがで知る 学習方略』で示された「学び方を学ぶ」という視点を手がかりに、認知の特性、メタ認知、そして専門性としてのフィードバックから、「教える」ことの本質を問い直す。
熊本大学教育学部卒業後、熊本県内の公立小・中学校で25年間、教鞭を執る。現職教師を務めながら岐阜大学大学院教育学研究科を修了。その後、熊本市教育委員会指導主事、熊本大学准教授を経て現職。専門は教育工学、情報教育、授業研究、教員研修。漫画家としても活動し、著作に『まんがで知る教師の学び』など多数。2024年12月発売の最新作『まんがで知る 学習方略:学び方を学ぶ』(さくら社)は、発売直後に重版が決定するなど、多くの子どもや先生から支持されている。
「伝える」を「教える」へ昇華させる。その鍵は子どもの「自己肯定感」
——昨今、自律的な学びが強調される一方で、「教える」という行為がどこか否定的に捉えられる場面も増えています。前田さんはこの現状をどうご覧になっていますか?
まずお伝えしたいのは、「教える」ことと「伝える」ことは違う、ということです。私たちは、どうしても「黒板に書いたから教えた」「説明したから伝わっている」と思い込んでしまいがちです。
でも、実際には子どもが本当に理解したかどうかは分かりません。今の時代、単に知識を「伝える」だけならネットの動画でも十分にできてしまいます。
私が考える「良い教え方」とは、相手が自分の力で学べるようにしていくことです。よく言われる「魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教えよう」という言葉がありますが、まさにそれです。受験のために知識を詰め込むのは「魚を大量に与えている状態」で、テストが終われば忘れ去られてしまうことも多い。
大切なのは、子どもが自ら知識を獲得できるようになる「釣り方」を教えることなんです。
——子どもたちが自分でも魚を釣れるようになる状態こそ、「教える」のゴールということですね。
そうですね。ただ、ここで私が大切にしたい補足があります。
単に「釣り方(技術)」を教えるだけでは足りないんです。同時に、「自分にも魚を釣ることができるんだ」という自己肯定感を育てることが不可欠です。「こうやれば釣れるよ」という方法論だけを手渡されても、子ども自身に「釣ってみたい」という意欲や、「自分ならできる」という確信がなければ、学びは持続しません。
さらに言えば、「釣った魚を誰に振る舞うか」という視点も大切です。自分が学んだことで誰かが喜んでくれた、社会の役に立てたという経験が、「自分は役に立つ存在なんだ」という実感を生み、本当の意味で「教える」という営みが完結するのだと考えています。
また、魚(教材)によって釣り方も変わります。自分に合った方法、目的に合った方法を、子どもが自分で工夫していけるように導く。それが先生の役割だと思っています。

学びの作戦を立てる力「学習方略」とは?
——「自分に合った工夫」というお話がありましたが、それが前田さんの最新のご著書で提唱されている「学習方略」につながるのでしょうか?
まさにその通りです。「学習方略」と聞くと難しく感じるかもしれませんが、英語では「learning strategy」、もっと親しみやすく言えば「学びの作戦」のことだと考えてください。
何かを学習するときに、「単語帳を自分で作ってみよう」とか「友達と問題を出し合ってみよう」と工夫した経験はありませんか? こうした工夫こそが学習方略です。学習方法(learning method)が「学び方そのもの」を指すのに対して、学習方略は、学習をより効果的にするための自発的な工夫だと考えると分かりやすいでしょう。
先ほど「学びの作戦」とお伝えしましたが、なぜこの「作戦」が重要かというと、子どもによって「認知の特性」が全く違うからなんです。
私自身の話をすると、子どもの頃は社会科が猛烈に苦手で、教科書を読んでもさっぱり分かりませんでした。ところが、親に頼んで買ってもらった歴史の学習漫画を読んだ瞬間に、歴史が物語としてつながり、俄然おもしろくなった。そこで「自分は活字より漫画の方が入りやすいんだな」という特性に気づけたんです。
文字で理解するのが得意な子もいれば、映像や画像があると理解がスポンジが水を吸うように入ってくる子もいる。文字が苦手でもパソコンの画面なら集中できる子もいます。どれが良い悪いではなく、その子に「合っているかどうか」なんです。
今はタブレットという強力なツールがあります。以前は教科書とノートという選択肢しかありませんでしたが、今は自分に適した情報を集め、自分に合った方法で表現できるようになりました。「学び方の選択肢」が広がったことは、多様な特性を持つ子どもたちが自分らしく学ぶための大きな支えになっています。
——自分に合った「作戦」を立てるためには、自分を客観的に見る力が必要そうですね。
そう、「メタ認知」を育てることがベースになります。
メタ認知とは、自分の思考や感情、行動を客観的に把握し、適切に調整する力のことです。小学校低学年のうちはまだ難しい部分もありますが、4年生くらいになると、振り返りシートの記述などを通して、自分の学習を客観視できるようになってきます。
例えば、「今日は時間が足りなかった。次は時計を見ながら時間配分を考えたい」と書く子がいたら、それは完全に自分をメタ認知していますよね。
——そこで先生はどのような言葉を掛けるのがよいのでしょうか?
先生はそういう良い振り返りを逃さず、「こういう風に考えると、次どうすればいいか自分で分かるからいいよね」と価値づけて、クラス全体に広めていくことが大切です。先生が常に「全部タブレットでやりなさい」と方法を固定化して押し付けてしまうと、メタ認知は育ちません。自分がどういう方法が合っているのか、試行錯誤する機会を奪ってしまうからです。
小学校のうちは特に、「やり方」をたくさん経験させながら、自分の得意・不得意が分かるように試行錯誤できる学習活動を増やしてあげてほしいですね。
そして、ここに先生の専門性の核心である「フィードバック」が関わってきます。ジョン・ハッティという研究者が言っていますが、フィードバックとは「目標」と「現状」のギャップを埋めるために提供される情報のことです。

水泳指導を例に挙げましょう。息継ぎができない子に、「今は顔が前を向いてしまっているから、横に向けるためにビート板を使ってこの練習をしてみよう」と具体的な改善策を伝える。これは一方的な情報伝達しかできない動画では不可能です。
子どもを名前で呼び、ノートや端末の中身を見つめ、個別の言動に合わせて「どう考えてる?」と声を掛ける。その子の今の状態を「診断」し、適切な「形成的評価」として言葉を返す。これこそが、先生にしかできないプロの技なんです。
——一人ひとりにフィードバックをするのは、30人〜40人の学級では限界もあるように感じます。
だからこそ、協働的な学びが重要なんです。個別最適な学びと協働的な学びは別物ではなく、一体的なものです。 先生一人で全員を見るのではなく、子ども同士が教え合い、支え合える集団を作ること。「分からない」と素直に言えて、誰かが教えてくれる安心感。そして「教えることで自分の理解も深まる」というメリットを実感させていく。
「人間から学べることは素晴らしいことだ」と価値づけていくことも、先生の大切な役割です。先生自身も「自分が全部教えなきゃ」と抱え込まず、子どもたちが自ら育ち合う力を信じてほしい。子どもたちには、私たちが思っている以上に、助け合って学ぶ力があるんです。
「委ねる」ために「教える」。二項対立を超えたグラデーション
——最近は「教え込み」を避けるあまり、「どこまで教えていいのか」と悩む先生も多いようです。
「教えてはいけない」と極端に捉える必要はありません。「教える」と「委ねる」は対義語ではなく、主体的に学習できるように導いていくグラデーションのようなものです。
ここで大事なのが、「任せる」と「委ねる」の違いです。
例えば、「外庭の掃除を任せる」と言った場合、活動の主体は子どもにありますが、目的や基準、最終的な責任は先生が持ったままです。何をどこまでやるのか、うまくいかなかった場合にどうするのかは、あらかじめ先生が枠組みを決めています。
一方で「委ねる」は、課題をどのように捉えるか、どんな方法で解決するかといった判断そのものを、学習者に手渡すことを意味します。ここでは、学習の主体が明確に学習者側に移ります。ただし、これはいきなりはできません。
最初は道具の使い方や調べ方を「教え」、一定の範囲を「任せる」段階を経て、徐々に「委ねる」段階へと進む。「委ねられるように、戦略的に教えていく」ことこそが、これからの先生に求められる高度な指導力なんです。
——具体的に、先生がしっかりと「教える」べき場面とはどこでしょうか?
私が考えるのは、主に次の5つです。
1. 知的好奇心を刺激する事実
例)大航海時代を教える前に、アメリカ大陸のない古い地図を見せて「あれ?」と思わせるような仕掛け
2. 基本的な知識・技能・ルール
例)楽器の使い方やタイピング、跳び箱のモデリング(見本)など
3. 間違えやすい事柄
例)「植物も呼吸をしている」といった、誤解されやすい正確な知識
4. 単元の全体の見通し
例)どこを目指しているのかという学習計画の共有
5. 安全性に関わること
例)彫刻刀や包丁の使い方など、命や怪我に直結すること
これらは徹底して教えるべきです。土台となる「釣り方」や「安全」を教えずに「さあ釣ってごらん」と言うのは、放任になってしまいますから。
——「受験」が先生たちに「教える」の本質を曇らせ、苦しくさせている側面もあるかもしれないですね。
現場の先生方の本音は、本当によく分かります。研修をすると最後に必ず「このやり方で受験の点数は取れますか?」と聞かれますから。
でも、大量に覚えて正確に吐き出すのは、コンピュータが最も得意なことです。これからの子どもたちに必要なのは、断片的な知識の詰め込みではなく、社会をより良くするための「概念的な理解」や「学び続ける力」です。
私自身、53歳で漫画を描き始めたとき、プロとの差に絶望して挫折しかけたことがありました。でも、編集者や読者の声に支えられ、「自分なりのやり方」を見つけることで、今も描き続けることができています。
完璧な先生でなくてもいいんです。子どもと一緒に「どうすればもっとおもしろくなるかな?」と作戦を練り、共に学び、喜び合う。そんな温かな「教える」の時間を、先生方自身も楽しんでいただけたら、これほどうれしいことはありません。

〈取材・文:先生の学校 編集部/写真:ご本人提供〉