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アートって、どうなれば正解?影アーティスト佐藤さんに聞いた、見えない自分に光を当てる「アートの魅力」とは?

アートって、どうなれば正解?影アーティスト佐藤さんに聞いた、見えない自分に光を当てる「アートの魅力」とは?

私たちの学校・大阪夕陽丘学園高等学校では、2022年より新しい教育実践を行う教科としてNIP(Next Innovation Practice)科を立ち上げました。

NIP科は「総合的な探究の時間」の中で、生徒が自分を表現する手段の一つとして、しばらくの間「アート」をテーマにした授業を実践してきましたが、生徒によってでき上がる作品はバラバラ。表現することが苦手な生徒もいる中で、模索しながら授業を進めてきました。

「アートって、どうなれば正解なんだろう?」そんな問いを持った私たちは、舞台照明の仕事をしながら影アーティストとして活躍する佐藤江未さんに話を聞いてみることにしました。

ちぐはぐに積み上げられた素材に光を当てることで、まぼろしの姿が浮かび上がる「影アート」。そんな不思議で唯一無二な世界観を作り上げる佐藤さんは、もともとはアートと無縁だったと言います。

ふとしたきっかけから影アートに本格的に取り組むことになった佐藤さんに、自身の考えや感性を“作品”として具現化するアート表現の魅力について聞きました。

写真:佐藤 江未(さとう えみ)さん
佐藤 江未(さとう えみ)さん
影アーティスト、舞台照明家

舞台照明家としても活動する影アーティスト。もともとアートには無縁だったが、ふとしたきっかけを得て2020年から本格的に光を当てると浮かび上がる影アート製作を始める。廃棄物や身近な素材などから影アートを作り出す。これまでテレビや新聞、WEBなどを含むメディアに20本以上紹介される。影アーティストとして3回の個展を開催。落とし物、忘れ物、かつては誰かの物だったものを素材として製作した「Lost and Found 〜お と し も の〜」(2020) 、注目されない身近な素材を集めて製作した「Pride of Materials〜あつまる と つよい〜」(2021)、光を当てる前と後で違った印象のモノを映し出す「TWISTED ひねくれモノ」(2022)。


多様な素材から成るオブジェに光を当てて、浮かび上がる影アート


——佐藤さんが創作する「影アート」とは、どのようなものなのでしょうか?


私が作っている影アートは、さまざまな素材を積み上げて作ったオブジェに、ある一定方向から光を当てることで浮かび上がる影を使ったアートです。

オブジェだけ見ると、一見何の変哲もない、ただ無作為に素材を積み上げただけのように見えます。でも光を当てると、オブジェからは想像もつかなかったシルエットが浮かび上がります。

さまざまな素材から、思いもよらない姿が現れる
佐藤さんの影アート


例えば「Lost and Found 〜お と し も の〜」と名付けたシリーズでは、電車内の忘れ物など、かつては誰かに必要とされていたけれど今は不必要になったものたちを集めて、人影のシルエットが浮かび上がったりする作品を作りました。

影絵というと、投影されたシルエットのみが作品になることが多いですが、私が作っている影アートでは、光が当たる前のさまざまな素材を積み上げたオブジェも含まれている作品になります。


——素材はどのように決めるのですか?作品製作のプロセスも含めて気になります。


作品を制作する際には、まずテーマを決めます。そのテーマに沿って、素材にこだわりながらオブジェとして積み上げていくパターンが多いですね。

例えば2021年に開催した「Pride of Materials〜あつまる と つよい〜」という個展では、身の回りのもの、全然役に立たないもの、今まで大活躍してこなかった変な素材たちを集めることにしました。

最初に思いついたのは、パンの袋を止めるクリップとして使うバッグ・クロージャ―。他にも、よくポストインされる水道屋さんの広告マグネットや、ボロボロでもう着ないけどお気に入りだった服など、「使う機会はないけれどなんだか捨てられない」ものたちを集めていきました。

最初にテーマを絞ることで、素材のアイデアが少しずつ出てくるんですよね。こんな風に、テーマに沿って素材を決めながら作品を作っています。


——素材以外にも作品の作り方にこだわりはありますか?


最近意識しているのは簡単に仕上げないことです。平面的に作ると、意外と簡単にできてしまうのですが、影アートは、どれだけ予想を崩せるかが大事だと思うようになってきました。

人型の紙を光の前に当てたら、その影が出ることは予想できますよね。でも、私の作品は、このオブジェからは想像がつかない影を浮かび上がらせるために、素材を崩していくことで作品は仕上がっていきます。

平面的に作ろうと思えば早くできますが、その反面、光が当たっていないときに予想されやすい。分かりやすい作品は自分も気に入らないし、自分が気に入らないなと思っているものは他の人も気に入ってくれないことが多いんです。

パンの袋を閉じるバッグクロージャーが素材として使われている


うまくいかない作品をたくさん作っていく中で、光を当てたときの意外性を出したり、グルーガンでの接着処理を丁寧にしたり、1つの作品にかける時間やこだわりなど、追求すればするほど良い作品になると感じるようになりました。

その作品を良いと思ってくれた人が連絡をくれて、次のイベントにつながることもありますね。


作品の意図や意味を考える楽しさ


——佐藤さんが影アートに取り組むようになったきっかけは何だったのでしょうか?もともとアートが好きだったのですか?


そもそも私は、アートは好きで興味もありましたが、「自分の作品なんて…」とネガティブに思っていたタイプで、才能もないしアートとは無縁だと思っていました。

影アートのことを知ったのは、2015年に偶然目にした、海外アーティストの作品が紹介されたネット記事がきっかけでした。ゴミに光を当てると人の影が浮かび上がるという作品で、もともと舞台照明の仕事をしていた私は、作品を照明で生かせたらおもしろそうだという考えが頭の片隅にありました。

そうした興味のセンサーに引っかかり、「影アートという表現があるんだ、おもしろそうだし自分にもできそう」だと思って試しに作ってみたことが始まりです。そこから本格的に影アートの製作を始め、初めての個展を開いたのは2020年になってからのことです。


——学生の頃から美術やアートの授業が好きだったというわけでもなかったのですね。


学生時代の美術の成績は2でしたね(笑)。自分が作る作品に全く自信がなくて、友達の作品を見ては羨ましいと思ってばかりで、他の教科であれば勉強すればある程度の結果が返ってくるけれど、美術に関しては頑張りようがないと思っていました。

作ることは好きでしたが、やっぱり自分は凡人なので美術やアートに関する仕事に就くなんて到底無理だと諦めていました。そんなときに、舞台の世界と出会って、舞台照明に興味を持ったんです。

ただ、当時はまだ高校生。進路を決めかねている頃だったので、ひとまずはいろいろなものづくりが学べる学校に進学し、服を製作する授業に興味が湧いて専攻していましたが、そこでも周囲と比較してしまって、やっぱり自分には無理なんだという挫折感を味わいました。

あるとき、たまたま観に行った公演の照明がすごく素敵で感動して、技術職でもある照明を作る仕事なら自分にも挑戦できるかもしれないと思い、舞台照明の仕事に就きました。


——影アートに取り組んでいてうれしいと思うのはどんなことですか?


最近は、展示する作品から露骨な答えを出さないように意図して製作しているのですが、私の作品を鑑賞しながら、なぜこの素材なのかという問いを持って、自分なりの答えを導き出してくれる方もいるんです。

例えば、昔の携帯電話と時計を使ったオブジェから自由の女神が影として現れる作品を作った際、タイトルを「フリー?」にしました。他には何の説明もつけなかったのですが、「なぜこの素材で自由の女神なのか?」と意識を向けてくれるだけでなく、自分なりに考えて、答えを導き出してくれる人が時折います。そんな風に鑑賞してくれたことを知ったときは、とてもうれしい気持ちになりますね。

なぜなら、影アートには考える楽しみや作品の意図を探る楽しみが絶対にあると思うからです。

そういった考える楽しみや探る楽しみに奥行きを持たせたくて、あえて情報を与えていない中で探ってくれるのは、やはりとてもありがたい。それがたとえ自分の想像していた答えと違っても、「きっと何かあるはずだ」という視点で作品を観て考えてもらえるのはすごくうれしいことですね。


アートは「自分」を見つけるきっかけ


——ところで「アートで表現する」ことの他に、何かを「デザインする」という手法もあります。佐藤さんは両者の違いをどのように考えていますか?


あくまでも私の感覚ですが、自分の好きなものを作品として作るのがアートで、決められた条件やルールがあって、その枠の中ではみ出さずに自分なりの感性を表現するのがデザインなのかもしれないと感じます。

例えば、個展に出す作品は、自分のために作っていて、誰かにオーダーされて作っているものではないので、100%自分が満足いくものに作り上げます。そういう作品は、アーティストとして作っている感覚があります。

ですがクライアントから発注された作品は、やはり先方にとっての正解を探しながら作ることになるので、そうなるとデザイナーのような感覚になります。作品によって、アートとデザインを自然に使い分けているように思いますね。


——なるほど。最近は学校現場でも自己表現の手段として、子どもたちがアート作品の製作に取り組むことが増えています。アートは自己表現の手段として有効でしょうか?


学校の美術の授業に関しては、少し思うことがあります。

昔、ワーキングホリデー先であるカナダのデッサン教室に通っていたときに、私の中ですごく衝撃的で印象に残った出来事がありました。そこは日本で思い描くデッサン教室と全然違っていて、教える内容にそう違いはないはずなのに、ずっと美術の成績が2で苦手意識を持っていた私が、「ここだったらずっと通い続けたい」と思えたんです。

それはなぜかというと、周りの人がすごくポジティブに自分の作品を評価してくれるからなんですよね。例えば、私のデッサンが仕上がったときに、隣に座っていたおじさんが「君のデッサンいいね」と言ってくれたんです。

でも、私としてはできが悪い、最悪だ、誰にも見せたくないぐらいのレベルだと思っていたので、「ありがとう。でも自分ではあまり気に入ってないし、下手だと思う」と返したところ、「いや、僕たちは下手だからここに通っているんでしょ?上手になってもっと楽しもう」という言葉が返ってきたんです。そのときに、こういう感覚を日本では味わったことがなかったなと思ったんですよね。

アートを学ぶということは、表現技法を身につけることが目的なのではなくて、自分の人生において、できないから学ぶんだという考え方や、そうした自己表現の手法があるんだということを知ることで、人生をより豊かにしてくれるものなのではないでしょうか。

人によっては自分を表現する手段をまだ持っていない場合だってあると思うんです。だから、うまくできない、苦手だと思う時期があってもいい。うまく描けるようになっていく過程を楽しむ、そんな学び方ができればいいなと思いますね。

カナダのワーキングホリデーが終了した後に、そのまま南米へ旅行へ行きました。インターネットがつながらない場所だったということもあり、そこで、カナダのデッサン教室で学んだ描き方を使ってスケッチしたんです。それが思いのほか、充実した日々に感じました。

苦手だと思っていた「絵を描くこと」が好きなことに変化することで、自分の人生に何かがプラスされた気がしました。好きなものや表現する手法が増えることは、人生を豊かにしてくれるのではないでしょうか。


——アートを通して自分に気づき、好きなものを増やすことにつながればすごく素敵なことですね。子どもたちがアートを通して自己表現をするうえで、何かコツはありますか?


昔から好きだったものや、幼い頃に好きだったものは、誰でもあると思うんです。今はもう捨ててしまったけれど、捨てなきゃよかったなとふと思うことがありませんか?

自分が過去に集めていたそうしたものたちは、自分のルーツだと思うし、当時の感情を呼び覚ましてくれることもあるので、そういうものを捨てずにとっておくと、何かのフックになることがあるかもしれません。

私も、仕事で悩んだり辛いことがあると、なぜこの仕事をしているのかと疑問に思うことが幾度もあります。そんなときに今までの自分の「好き」のコレクションを見ると、冷静になって考える材料になるんです。

「自分はこういうものが好きなんだ」と、後になって客観的に思えるためにも、自分の過去を集めておくことは大事だと思いますね。


取材を行った大阪夕陽丘学園高等学校メンバーの座談会


取材を行ったメンバーで、学校でどのようにアートを活用できるかについて座談会形式で対話してみました。

左から岩谷真悠さん、西田卓司さん、長谷川誠さん、管谷雅紀さん、山﨑那奈さん


——ワクワクが高まる「アートな側面」

私たちの学校では「総合的な探究の時間」の中でしばらくアートに取り組んできたものの、生徒によってでき上がる作品は全然違うし、なかなか表現がうまくいかない子もいるし、「アートってどうなれば正解なんや!?」と模索しながら授業を行ってきました。

そんな中、今回影アーティストの佐藤さんにお話をうかがって、皆さんの「授業で取り組むアート」に対してのイメージは変化しましたか?

「アーティストだからこうあるべき」ということはないんだと思いました。

昔から美術の成績がすごく良い必要もない。好きなものを見つけて個展をやってみて、うまくいったから続けていく。その流れそのものが佐藤さんの自己表現だし、素敵で自由な生き方だなぁと感じます。

生徒と関わっていても、生徒の多くは正解のない課題であっても無意識に答えを探してしまう。でも、私は自分の授業の中で「自分だけの視点でものごとを見て、自分なりの答えを表現する」ことを重視しているんです。

だから、表現の仕方が人によって自由なアートは、私の目指している探究的な学びと相性が良いのかなと思いました。

確かにアートの場合、人によって表現の仕方は違う。自分を表現するというのが、佐藤さんの場合は影アートだけれど、私が今まで接してきた生徒を見たときに、生徒の表現する方法はいろいろな形があるなと改めて思いました。

文章で書くのは苦手でも、話したり絵を描いたりすることはできるというように、生徒の自己表現は人それぞれですよね。生徒が得意なものに合わせてあげたいな。

今は教育現場にアートが入ってきているけれど、先生自身がアートに触れてきていないから、教え方もよく分からない現状があるんじゃないかと思っていました。

でも、今回の取材の中で、自分を自由に表現する手段を増やすこと、自己表現を蓄積して自分を理解していくことの2つがアートの可能性なんじゃないかなと感じましたね。

ただ、生徒もこれまでの学校生活で、自由に自分を表現する経験を積み重ねてきていないのではないかなと思います。

今までの自分の授業を振り返ると、生徒に「自分で表現する」ことを求めていたと思うんですが、これって自分が訴えたいことを強く持っていないとなかなかできない。生徒がうまくいかないから、担当者でどんどん枠組みを増やしていくんだけれど、そうなるともはやデザインになってしまっている。

「自分の中に強くある思いなのだけれど、他人に言うことじゃない」ということもありますよね。でも、僕ら教員は、生徒たちにそれを言わせようとしちゃう。本当は生徒たち自身が「やってみたい!」と感じたときに、それを表現すればいいだけなのに。

僕らは機会を与えることはできるけれど、それが生徒にとって答えを出すベストのタイミングかどうかは分からないですよね。

普段の学校生活でも多くの先生は授業の中で「これは将来絶対に役に立つから」という思いで生徒に話しているけれど、生徒からすると「事実としては分かるけど、体感していないから分からないし」と思って、ワクワクできない学びの方が多いと思う。

探究に限らない話だけど、これおもしろそう、ワクワクするなってエンジンがかかり始める方が学びが深まると思っていて、僕たちが提供できるのは「ワクワクする学びの第一歩」でしかないのかなと思います。アートって自由度が高いしワクワクする瞬間が作りやすい。何か活用できる部分はあるんじゃないかな。


——ワクワクが高まる「アートな側面」

人によって表現する内容もタイミングも違う。そんな自由さがアートの良さで、だからこそ「やってみようかな?」とワクワクできる。生徒にそんな学びの第一歩を示す先生自身が、自分のワクワクする瞬間を自覚できているといいのかなと思いました。

ちなみに、皆さんはどんなときにワクワクして、自分自身のアートな側面が出ているなと感じますか?

僕は仕事で追い込まれたときですね。無茶ぶりされた仕事で期間が決まってるから、自分の持ってる武器でしか戦えない、今から外に武器拾いに行ってもう間に合わないみたいなときって自分の集中力が最大限に高まると思う。

余裕のスケジュール感で仕事を振られるより「今週中で!」みたいな期限の決められ方をすると、他の仕事はさっとこなしてそこに没頭するタイプだから、追い込まれたときが一番ワクワクしているかも。

私は授業を作るときかな。私は大体頭の中のリズムに乗って授業を作るんですよね。

一定のペースで流れるテンポの中で、自分を指揮者だと思って授業の構成や内容をどんどん考える。今はゆっくりでいいなとか、少し急ごうかな、と考えている時に自分の中の作りたい思いが高まっている気がします。

僕が一番クリエイティブになるのは、やはり新しいものに出会った時ですね。未知のものと出会った瞬間に「これ何!?」って興味が300%くらいまで高まる。でも、次に出会ったときには興味が薄まってしまっていることもよくあって。熱しやすく冷めやすいというか…。

モノでも考え方でも、新しい何かと出会ったときはワクワクしますね。

人を喜ばせたいと思う時かな。今年度の自分の目標が「Who are you?」に答えられるようになるということなんですが、「私って何に興味があるんだろう?」と考えたときに、誰かを楽しませたいなとか、喜ぶ顔が見たいなとか、笑ってほしいなと最初に感じたんです。

自分の中に誰かのために努力したいという思いがあって、その思いを具体的な形にする時「どうやったら楽しく取り組んでくれるんだろう?」とワクワクします。

僕は皆の話を聞いていて、自分のアートな側面はあまりないのかもなと思いましたね。ここにいる4人は自分の考えたことを実践してくれているけれど、アートな瞬間もそれぞれ違っていて、きっと生徒に対してのアプローチも一人ひとり違うんだと思う。

僕自身は普段の職場でそれをデザインしているということが多くて、僕が何かを生み出すというよりも、皆のやりたいことをサポートしていることが多いなと。良いように言えばそこでバランスが取れているんだろうなと思っています。

皆生徒のために今日の話を生かそうとしてくれるだろうし、僕はデザイナーでいたいな、と感じました。


<取材・文:2023年チームになる雑誌 チーム「OYG」/写真:ご本人提供>