Vol.8 大学を休学して、メルボルンでサッカー選手と現地小学校のアシスタントとして活動!
「世界の大学 学びの車窓から」は、世界中の大学で学ぶ学習者を取材し、世界の大学で実践されている学びを紐解く連載です。今回の寄稿者は、オーストラリアでセミプロサッカー選手として活動されていた、定久 勇吾さん。
定久さんは、「スポーツ」と「教育」を学ぶために大学を休学して海外でのチャレンジに飛び立たれていました。異国の地で学んだ日本と海外の違いや、そして日本から飛び出て海外でチャレンジして感じた、海外に行くことの価値を綴っていただきました。
2020年に大阪体育大学に入学。大学4年間を体育会サッカー部として活動。国内では体育会学生向けのキャリア教育イベントの開催とクラウドファンディングへの挑戦や学生団体「Creall」の立ち上げを経験。株式会社Arxcsのアンバサダーとしても活動中。2024年1月から大学を休学し、オーストラリアでサッカー選手・クラブ広報・現地小学校の日本語と体育の授業のアシスタントとして活動。2024年の9月からは経産省×JETRO共催の「ゼロイチ」に採択され、日本に帰国し、体験格差の問題に取り組んでいる。国外ではシンガポール・カンボジアでの海外インターンを経験。
休学をして海外挑戦を決めた理由
私が大学を休学して、海外に行くことを決めた理由は大きく2つ。
1つ目にこのまま社会に出るのが怖かったから。2つ目は海外の教育について学びたかったから。これが私がオーストラリアで挑戦しようと決めた理由です。
大学3年の夏、就活を頑張ろうと意気込み、いくつかのサマーインターンに参加していた私は、就職活動を進めていく中で自分自身の将来に違和感を感じていました。
これまでの人生、サッカーをすることに多くの時間を投下していた私には大学卒業後、社会人として働いている自分を想像することができませんでした。サッカーばかりに取り組んでいたため、偏ったコミュニティで偏った価値観にしか触れておらず、このまま社会に出ることに怖さを感じたことを鮮明に覚えています。
そんな思いに苛まれていた大学3年の夏にタイミングよくオーストラリアにサッカー留学に行く機会がありました。その留学が私の大きな転機の一つになっています。

そこで感じた、海外のカルチャーや海外で活躍している日本人の姿を通して、「自分のワクワクすることに挑戦する人生にしたい」と思うようになりました。この海外渡航を機に海外でのインターンやフィールドワークに取り組むようになり、2024年のオーストラリア・メルボルンでの挑戦に至ります。
今回の渡航には、オーストラリアの教育に触れることも目的の一つにありました。私は大学3年の頃から教育に興味を持ち始めました。きっかけはカンボジアでのインターンシップ。カンボジアの地方部の教育環境を目の当たりにした際、衝撃を受けました。
恵まれているとは言えない教育環境や家庭環境がそこにはあり、夢や希望を持つことが難しい子どもたちが多くいました。日本で生まれ育った私からするとショッキングな光景であり、選択することができない環境の影響で夢や希望を持てない子どもたちの姿を見て憤りを覚えたことが、教育に興味を持ち始めた原体験になりました。この原体験が、今の事業作りにもつながっています。
カンボジアでの経験を終えて帰国後、どのような教育環境や機会が子どもたちの幸福につながるのかということを学び始めました。

日本のこれまでの教育システムの変遷や海外の教育法などをリサーチをしたり、おもしろい取り組みをしている幼稚園や学校があれば足を運びお話をうかがったりと、何も分からなかった私はとにかくインプットの量を増やしました。その中で、日本国内の教育環境に身を置くだけでは、精度高く目の前の教育環境を捉えることは難しいと気づき、海外の教育環境に身を置くことが必要であると考えました。
そんな中、大学3年の夏にオーストラリアのシドニーに短期でサッカー留学をした経験から、多国籍・多文化・多宗教のオーストラリアの教育現場に身を置くことが学びになるのではと思い、メルボルンへの渡航を決断しました。

オーストラリアのサッカーと教育
オーストラリアに渡航した2024年1月から、2つの活動に力を入れ始めました。1つ目は、セミプロのサッカー選手としての活動。2つ目は、現地小学校での日本語と体育の教員アシスタントでした。
日本でプロサッカー選手になるという夢を大学2年生で諦めましたが、オーストラリアではお金をいただいてサッカーをするという経験をさせてもらいました。自分の能力に対して対価としてお金をいただくという経験をサッカーでさせてもらったことは、これまでの自分の取り組みが1つ形になった気がして、給与口座にお金が振り込まれた瞬間の感動は今でも忘れられません。
そんなオーストラリアでのセミプロ選手としての活動は、実は難しいことばかりでした。
日本のサッカーとのスタイルの違い、英語でのコーチングの難しさやアジア人に対する差別等、壁だらけでした。当初契約予定だったクラブはシーズン開幕直前にチームの信用が疑われるようなことが発覚し、契約は白紙になり、シーズン直前にカテゴリーを下げて契約を結びました。
シーズン序盤は監督からの信頼を獲得し、好パフォーマンスが続いていたものの、チームの状況の変化や監督とのコミュニケーションが上手くいかず、希望ポジションとは違う起用となり、苦しむシーズンとなりました。
日本人として舐められないように自己主張を意識しようと取り組みましたが裏目に出るシーンも多くあり、コミュニケーションの重要性をサッカーというチームスポーツを通して学ぶことができたシーズンでした。言語が思うように扱えない海外でサッカーをすることの難しさと、ボール一つで外国人と目標に向かってチャレンジできるサッカーの魅力を体感することができました。

教員アシスタントとしての活動も当初は難しいことばかりでした。そもそもどうしたらオーストラリアの教育現場に入り込めるのかも分からないような状態でした。
知り合いの日本人やクラブのチームメイトに相談をしたり、30件ほど学校に直接メールをしたり、足を運ぶこともしましたが、なかなか良い返事をいただくことができませんでした。
それもそのはず、流暢な英語力もなければ教員免許も保持していない自分には見向きもしてくれるわけがありません。そんな中、私がバリスタとして働いていたカフェでお客さんの女性2人が小学校について会話をしているのが耳に入り、思い切って自分の教育への思いを語ると、「日本語の教員ボランティアを募集しているかもしれないよ」と情報をくれ、その小学校にメールをした結果、アシスタントとして現場に入らさせていただくことができました。
数カ月という短期間ではありましたが、授業のお手伝いをする中での学びは多く、大変有意義な時間になりました。オーストラリアの教育に携わり、学びを得たことが2つあります。
1つ目は、学校の授業についてです。私の受けてきた日本の学校教育では、10のことを教えて、10のことを覚えるために子どもたちは勉強をするという形でしたが、オーストラリアでは1のことを教えて1.2や1.3といった+αを子どもたちが自らの発想や考えで導き出している印象を受けました。
授業の進行スピードとしては日本よりスローかもしれませんが、その分一つ一つの学びに深みを持たせ、子どもたちの自由な発想を広げる環境が整備されているように感じました。
2つ目に、子どもたちの周りを取り巻く大人の方々の姿です。これは国の文化や地域性による影響があるかもしれませんが、保護者や教職員といった大人の、子どもたちに対するリスペクトを感じました。表出している事象の善し悪しではなく、子どもたちが自身で取った判断やアクションに対してリスペクトを持ち、その上で伸ばす部分は伸ばし、正す部分は正しているという印象を受けました。
このような環境だからこそ、子どもたちは失敗であったり、こうあるべきといった概念にとらわれず、ものごとを自由に柔軟に捉えて、伸び伸びと学びを深めているように感じました。
日本の学校教育では、子どもたちが自ら考えて、新しいことを知ったり、クリエイティブな考えを育んだりするような0→1の機会の少なさが課題として挙げられるのではないだろうかと、オーストラリアでの経験を通して学びました。
海外に出ることの価値とは?
オーストラリアでのさまざまな挑戦は、自分の人生に大きな影響をもたらしました。海外に出ることの価値は「日本」と「海外」を相対化できることだと思います。日本の当たり前は海外の当たり前ではないし、海外の当たり前は日本での当たり前ではありません。
自ら海外に足を運び、一次情報を獲得することで多くの気づきを得ることができます。ネットで調べれば、簡単に多量の情報を入手することができる環境に生きているからこそ、自ら足を運ぶことが大切であると感じます。

容易に情報に触れられるがゆえに、ものごとを知った気になり、リアルを知らないという状態に多くの人が陥ってしまっていると思います。海外でサッカーをすることの難しさやそれに対する準備はしていましたが、ネットや人に聞いたりすることなどでは拾えない現場レベルでの難しさが多くありました。そんなリアルな情報を得て初めて、経験として成立し、その後の人生に生かすことができるのではないかと感じます。
私自身、海外に出て以降の日本での生活や考え方には大きな変化が2つありました。1つ目は冒頭でも書きましたが、常に自分がワクワクする意思決定をすること。2つ目は、考えたことや感じたことを発信すること。
海外で活躍する日本人の姿に触れ、もっと自分らしく自由に挑戦をして良いのだと学ぶことができました。海外に行く以前の自分は無意識に自分の考えや理想に制限をかけていたような気がします。
今、私が壮大なビジョンを描きながら活動をすることができているのは、海外経験があったからだと確信を持っています。クリエイティビティは移動距離に比例すると言われているように、これからの人生も自分の思考に制限をかけないように定期的に海外に行くことは続けていこうと思っています。
オーストラリアでのスポーツと教育の経験を日本に持ち帰り、さまざまな面で日本の教育のアップデートに寄与できるように取り組んでいきます!
〈文・写真:ご本人提供〉