子どもと大人が一緒に“学校をつくる”九州初・学びの多様化学校の「指導」ではなく「伴走支援」という選択
大分県玖珠町に2024年4月に誕生した「玖珠町立くす若草小中学校」。
九州で初めての学びの多様化学校(旧・不登校特例校)としてスタートしたこの学校では、「対話」「野遊び」「探究」という新しい教科を設定し、日々子どもと大人が一緒に学校をつくり続けている。
課題だらけの毎日を、成果だらけの毎日に変えていく開校からの実践と手応えについて、校長の小原猛さんに聞いた。
1969年大阪府生まれ。5歳のときに両親が離婚。離婚をきっかけに別府市内の母子生活支援施設で幼少期を過ごす。大阪教育大学小学校教育(夜間)5年専攻を卒業、臨時講師の期間を経て、97年から小学校教諭として杵築市、別府市で勤務。2006年から18年間、別府市教委などで教育行政などに携わる。24年から現職。
課題だらけの毎日が、成果だらけの毎日
——玖珠町立くす若草小中学校の特徴や理念について教えてください。
この学校の最大の特徴は、教育課程特例校であることです。通常の学校とは異なり、特別な教育課程を編成することができます。特に「対話」「野遊び」「探究」という3つの新設教科は、この学校ならではのものです。
一条学校である以上、学習指導要領の内容や授業時数の縛りは避けられません。新設科目をつくるために、まず道徳と総合的な学習の時間と特別活動の授業を新設教科および各教科で補うようにし、各教科の授業時数を一定程度削減しました。
そして、削った時間を集めて新設教科の「対話」「野遊び」「探究」で年間200時間程度を組み立てていきました。

最も難しかったのは、新設教科でどんな活動をするのかを具体的にイメージすることでした。
例えば「探究」という教科で、総合的な学習の時間の内容を網羅しつつ、どんな活動を仕組むのか。国語の言語活動としてこれだけの時間、図工の制作活動でこれだけの時間、といったように積み上げていく作業が必要でした。
理念としては、文部科学省のCOCOLOプラン(Comfortable, Customized and Optimized Locations of learning:安心できる個別最適化された学びの場)に基づく学びの多様化学校として、学校に行かない、行けない、行きづらさを抱える子どもたちにとって安全・安心な居場所となることを目指しています。
ただし、「不登校」というキーワードは、当事者の方々を苦しめる面もあるので、あまり使いたくないんです。
——九州初の学びの多様化学校ということで、予想外のこともたくさん起きたのではないですか?
開校1年目の昨年は、基本的に予想していなかったことだらけの毎日でした。「成果と課題はありますか?」とよく聞かれるのですが、基本的に課題が日々起きるようなイメージです。
ないものづくしで始まった学校だから、明日また新しい何かが起きる、課題が生じる。でも裏返すと、毎日成果が生まれていたんです。職員みんなで「これどうしようか」「あれやったらいけるんと違う?」という話を繰り返して、その日や1ヶ月を過ごしていく。
課題だらけの毎日ですが、一方で成果だらけの毎日でもありました。

——印象的だったエピソードはありますか?
開校当初、給食がなかったんですよ。不登校経験のある子どもたちが「まず通えるか」が最優先で、4月の段階では給食を前提にしていなかったからです。ところが開校してみると、想定以上の子どもたちが毎日登校するように。ほどなく教育委員会から「給食の準備ができますよ」と打診があり、職員間で対話を重ねました。
結論は「一律ではなく選択制」にしようと、どちらも選べる形にしました。あるご家庭からは「毎朝一緒にお弁当を作る時間が、親子の良いコミュニケーションになっている」という声も届き、選択制にして良かったと実感しました。
次に課題になったのは、給食の“運用”です。一般的な学校なら当番が配膳し、手洗いの整列…と続きますが、職員間の対話では「せっかく昼休みが長いのだから、できるだけ遊ぶ時間を確保したい」と考えました。
そこで準備は大人が担当し、学食のように子どもが自分で取りに来て、好きな場所で食べられる方式にしてみました。エプロンとマスクで整列、といった“当たり前”をいったん外すことで、昼休みをのびのび過ごせるようにしたのです。結果として、給食に対する固定観念を見直す小さな成功体験になりました。
その後、片づけの場面での子どもたちとの対話から「自分たちでできるよ」という声を受け取り、小学部・中学部の子どもたちが日々の片づけを主体的に担う形へと変化しています。子どもの声を起点に運用を更新していきました。
こうして、日々の“課題”は小さな“成果”へと変わっていきます。大人がこれまでの当たり前を押しつけるのではなく、子どもと一緒に最適解を探す——その積み重ねが、学校の力になっていると感じます。
「勢い」はやっぱり大事
——開校してすぐに多くの子どもたちが毎日通えるようになったということですが、その要因は何だったと思いますか?
仮説検証で積み上げたというより、「勢い」を大切にしました。前例も少なく、計画通りにいく保証はない。だからこそ、ものごとを前に進める推進力としての勢いが必要だと考えたんです。
戦略的にやったことを一つ挙げるなら、4月1日——大人同士の初対面の日に、自己紹介で「呼ばれたい名前」を自分で決めてもらいました。これは着任前から決めていたことです。
新しい学校のコンセプトは「みんなが主役」「自分たちの学校は自分たちでつくる」。いきなり大きな理想は実現できなくても、身近なことを自分で決める習慣を最初の一歩にしたかった。だから「呼ばれたい名前は自分で決める」を最初に置いたのです。
背景には、人権教育での学びがありました。外国籍の子どもたちの自己紹介は、「My name is ○○. Call me ○○」と言うエピソードを学びました。
日本の多くの場面では「○○です。よろしくお願いします」と言った瞬間に、周囲が勝手に呼び方を決めてしまう。一方、「Call me」は「呼ばれたい名前は私が決めるから、こう呼んで」という意思表示です。これが自己決定の観点からも重要だと思ったんです。
この違いを大切にしたくて、職員にも趣旨を共有しました。私も、先生たちや子どもたちから「たけしさん」と呼んでもらっています。要は、「楽しくなる空気」をどうつくるか。そのためにどんな手を打つかを事前に考え、準備してきました。
見た目は思いつきに見えるかもしれませんが、「勢い」はやっぱり大事です。
——「勢い」を別の言葉に言い換えるとしたら、何でしょう?
強いて言えば「推進力」ですね。特に「大人=教職員の集団」として役割分担して進めるとき、拠りどころとなるものを明確に持っておかないといけない。
だからこだわったのは、学校の教育目標を教員同士の対話で作り上げること。時間をかけて何度もすり合わせました。ここが定まれば、あらゆるルールや基本はそこに立ち返れる。職員の推進力をつくるための“頼れる軸”を意識的に用意してスタートしました。
——その推進力の根っこは、「自分たちで決めてきた」という実感にあるのでしょうか?
それは大きいと思います。もう一つは、とにかく「楽しさ」「おもしろさ」を追求すること。軽く見えるかもしれませんが、実際に子どもや保護者の言葉が支えになっています。「この学校は楽しい。先生たちが楽しそうだから」と。

子どもは大人の表情を映します。大人がしかめっ面なら、子どもも下を向く。
だから4月1日から心掛けているのは、しんどいことは徹底的に議論して落ち込む時は落ち込む。でも次の瞬間には話題を切り替えて笑顔に戻ること。大人も子どもも下を向いて帰らない。「じゃあ、また明日」と言える空気を大事にしています。
大人の声ではなく、子どもの声が全ての起点
——「自分たちの学校は自分たちでつくる」というコンセプトを掲げていらっしゃいますが、具体的にこれまでつくってきたこと、ものを教えてください。
昨年は開校1年目ということもあり、全てつくっていました(笑)。常につくってましたね。
例えば、4月の探究の時間に取り組んだ「学校づくりプロジェクト」では、学校や校長室、図書室、職員室など、施設のネーミングが少し固いと感じたため、「ちょっと作り変えてみようか」という流れで、各教室・各部屋の新しい名称を子どもたちが考えました。

もちろん大人も一緒に参加します。各部屋のネームプレートも、新設の教科「野遊び」で材料を集め、図工や技術の時間に制作しました。
さらに、学校名を決めるプロジェクトでは、子どもも大人も一緒に話し合いを重ねた結果、現在の「くす若草小中学校」になりました。
——学校名まで子どもたちと共に考えられたんですね!
ここで私たち大人(教員)が特に意識したいと確認したのは、「どんな名前になるか」だけでなく、「決定のプロセスに子どもたちを参画させる」ことの大切さです。

40余りの公募から1つに決まること自体も大切ですが、私たちは常に「決まるまでのプロセス」を意識して取り組んでいこうとお願いしました。候補を絞る話し合いでは、多数決が妥当な場面もあれば、少数意見を活かすべき場面もあります。そうした決定のプロセスそのものを学びにしました。
また、校名が決まるまでには、社会の仕組みとして学校運営協議会の承認、教育委員会の承認、設置条例の改正に伴う議会の承認が必要になることも子どもたちに説明した上で取り組みました。
その結果、教育委員会の会議で校名変更の理由を、子どもが提案したのです。さらに、設置条例を変える議会は全員で傍聴しました。
——なぜそこまで徹底して子どもたちの声を大切にするのでしょうか?
私たちが目指しているのは、あくまで教育活動としての学びです。この「学校をつくっていく」取り組みは、その一つの大きなエピソード(実践)です。
大人が「校名を考えてみない?」と言って始まった活動ではなく、子どもたちの中から「この学校の名前はこのままでいいの?」「自分たちで考えたいよね」といった声が上がり、そこで初めてプロジェクトが始まりました。
その証拠に、この学校にはまだ校歌も校章もありません。子どもたちから「やってみたい・考えてみたい・作ってみたい」という声が生まれたときに初めて取り組むからです。
教育活動としては一見無意図的で、批判される点もあるかもしれません。しかし、そうした姿勢にこだわりつつ、子どもの声から出発した活動には、教員が死にものぐるいで計画性を持たせようとしています。その点への批判は、私が甘んじて受ける覚悟です。
たとえ「お前のところは何も考えていないじゃないか」と言われても、考えていないように見えて、実は深く考えている――それが大事だという思いが自分の中にあります。「良いところは全て先生方の功績、至らないところは全て私の責任」という役割分担の意識さえ持っていれば、恐れることはあまりないのかもしれません。
「指導」から「伴走支援」へ
——子どもたちと一緒につくる際に、先生方が大切にされていることはありますか?
本校では、指導方法の役割分担は明確にしつつも、「指導」という言葉は多用しません。もちろん、命に関わる場面など必要なときには指導しますし、「これはあかん」とはっきり伝えることもあります。
その一方で、昨年からは「伴走支援」という表現を意識して使っています。それが具体的にどんなことかというと、待つことだったり教材の準備であったり、選択肢の提供だったり寄り添うことだったり、さまざまありますが、一番効果が大きかったのは、大人が「指導」ではなく「伴走支援」を意識し始めることで、「どんな伴走支援ができるだろう?」と考えるようになった点です。

これは非常にプラスに働きました。「こんなやり方も伴走支援になるかな?」と考えるので、例えば選択肢の準備一つでも教員がやる気になります。これまでは指導一発で言うことを聞かせる場面が教育にはあったかもしれませんが、今は子どもの意思や気持ちを何より尊重し、伴走支援を心がけています。
「私たちの学校は伴走支援をする学校です」と宣言することで、次のステップとして、その具体策を探し始める。「指導」から「伴走支援」に言葉を変えただけですが、言葉の力は大きいと感じます。
——子どもたちとの「対話」も大事にされていますよね。
新設教科として「対話」「野遊び」「探究」の3つがありますが、私は「対話」こそが核だと考えています。この新設教科の「対話」は、自分らしく自分のことを表現できるようになること、自分と他者はそもそも考え方が違うと理解すること、違いがあるからこそ他者を尊重するために聴くことを大切にしようねということを狙っている教科の建て付けになっています。
こは本当に大事にしているポイントで、「本来みんなそれぞれ違うよね」という上滑りの言葉で言うことを逃がさないわけなんですよね。

本気で「自分と他者は違う、だからこそ尊重しないとね」ということをカリキュラムとして組み込んでいます。この「対話」は大きな核であり、とても大事にしています。だから「朝対話」や「夕対話」で、自分の気持ちを話せているか、テーマに対して自分の考えを言葉にできているかを丁寧に見ています。
——私たちが運営するスクールでも「対話」を大切にしているのですが、子どもたちから出る声を待ちきれずに大人が誘導してしまうようなこともあります。
全く同じジレンマがあります。だからこそ大事なのは、対話で「どこを目指すのか」をどれだけ明確に持てるかです。
例えば、「自分と他者の違いを尊重する対話にしよう」というビジョンを共有し、日々の対話を積み重ねる。1日や1回の対話で実現できるものではない――これを前提にしています。
つまり、目指す地点をはっきりさせることで、日々の中で「今日はうまくいかなかった」を何度繰り返してもよい、というやり方です。最初から「対話はこうでなければダメ」と決めつけて出発すると、毎日の実践が苦しくなってしまいます。
そうではなく、「ビジョンはみんなで共有する」を土台に取り組んでいるので、たとえ今日は大人の発話が多く一方通行に近かったとしても、そこへ向かう途中のステップに当てはまっているなら問題ありません。
要は、「目指しているのはどこか」を探り続けることです。だから、それぞれの職員が自分なりの解釈で対話に取り組んでいますし、それでいい。私の側では、対話で目指す地点はすでに共有できているという確信があるので、「どういうストーリーでそこへ近づいていくのか」だけを見ています。
ある一瞬が目標から外れて見えても、少しずつ近づいているなら、それは前進しているということ。実際、担当のこなちゃん(中学部の先生)とも「こんな対話をしてみたいよね」とよく話しています。それ自体が、ビジョンに向かって進んでいる証拠です。だから私は教職員を信頼して任せています。

不登校という言葉を使わない
——冒頭で「不登校という言葉をあまり使いたくない」とおっしゃっていたのが印象的でした。教育長も同じことをおっしゃっていました。背景にはどのような思いがおありなのでしょうか?
まず、文科省のCOCOLOプランでは、制度名が「不登校特例校」から「学びの多様化学校」へと変わった経緯があります。背景には、「不登校」という言葉が与える一般的な印象やイメージへの配慮があるのだと思います。
また、「不登校」というキーワードは、当事者自身があまり使わない言葉だとも感じています。むしろ当事者でない側が一括りにして貼るラベルではないか。そう考えると、そもそもその言葉を使わない、という発想になります。当事者の立場に立つなら、表現はたとえば次のようになるでしょう。
「学校に行かない」「学校に行けない」「学校に行きづらい」
「不登校」という言葉がどれほど多くの当事者を苦しめてきたかは、私自身、さまざまな当事者と出会う中で痛感してきました。4月1日や2日の職員の話し合いでも、教育観の根っこを共有する中で、複数の職員が自分自身や家族の経験など「不登校」というキーワードとの個人的な関わりを語りました。
そうした当事者の声に耳を傾けるほど、この言葉がもたらす厳しい現実を考え、私たちは「使わない」選択をしています。
ただし、私は何でも「禁止用語」にしたくはありません。禁止すると、意地の悪い人は別の呼び方をひねり出してしまう。大切なのは、当事者の思いに触れ、しんどさを知ったからこそ「不登校という言葉は使えない」と言える感性を育てることです。この点には強いこだわりがあります。
——たけしさんとお話をしていると、教育行政に18年間携わっていらっしゃっても固定の価値観にとらわれず、子どもたちを真ん中に考え、行動し続けているなと感じるのですが、それはなぜでしょうか?なにか転機などがあったのでしょうか?
教員になってからの出会いも大きかったです。人権教育(ヒューマンライツ)の現場で、障がいのある方、性的マイノリティ、被差別部落当事者など、さまざまな方々と出会い、気づきを得て自分も変わってきました。ただ、根っこにあるのはやはり自分の生い立ち、ルーツだと思っています。

私は「一般的な価値観」や「普通は…」という言い回しに敏感です。というのも、私の育った環境は、両親がそろい、家から学校へ通い、帰れば食事があり、習い事にも行けるという家庭ではありませんでした。
親の離婚後、別府市内の母子生活支援施設(母子寮)で暮らしていました。今でも覚えていますが、当時の小学校では「父親参観日」という表現が当たり前でした。父のいない自分が、そのプリントをみんなと同じように受け取る。その感覚は強く残っています。だからこそ、「普通」や「当たり前」という言葉に敏感になるのは、生い立ちに由来しているのだと思います。
——今、私たちも不登校の子どもたちと日々向き合っているので、不登校の子どもたちに向けられる偏見に悔しい気持ちになることがあります。そういうときにどのようにその目の前の人に対峙したり、コミュニケーションを取ったりしていますか?
マジョリティの人たちは、ものごとをひとまとめに括りがちです。「不登校の子どもにどんな変化がありましたか?」「この学校では成果がありますか?」と聞かれるたびに、私はあえて「ばらばらです」と答えています。子どもは一人ひとり違うからです。
私たちの学校は、ケースバイケースで考え、ハンドメイドで支えるという姿勢を一貫してお伝えするようにしています。
マジョリティはたしかに“ものごとを決める力”を持っているかもしれません。けれど、マイノリティはものごとや世界を変える可能性を持っていると思っています。
だから私は、マイノリティで良かったなと思っているところがあって。決める力を持つ絶大な力ではなくて、むしろ変わるとか変えるとか、その力の可能性を持つ立場に立てることは幸せであり、素敵なことだと思うからです。
だから、マジョリティ的な価値観と向き合う場面も、ときに楽しんでいます。「来た来た、この価値観」と受け止め、まずは一度受け入れて「そうですよね」と応じる。その上でこちらの価値観を丁寧に伝え、合意を積み重ねていく。その繰り返しです。
【梶原教育長インタビュー】“明日からでも作りたい”初年度ゼロ予算、準備1年未満で学びの多様化学校を立ち上げた理由

玖珠町立くす若草小中学校の立ち上げ準備期間はわずか1年足らず。異例のスピードで立ち上げを決断したのは、子どもたちの「通えない現実」を前に「明日からでも学校をつくりたい」と思い立った梶原教育長でした。前例や制度の壁を超え、地域と職員と共に学校を形にしていった背景には、どんな思いと覚悟があったのか、話を聞きました。
——玖珠町立くす若草小中学校の立ち上げ準備期間は1年足らずだったと聞きました。まずは、開校に踏み切った背景についてうかがえますか?
コロナ後、全国で学校に通えない子どもが増えたというニュースを見て、最初は対岸の火事ぐらいに思っていました。しかし、玖珠町でも学校に通いづらさを抱える子が目に見えて増え、中学校では一時、不登校率は全体の11〜12%に達しました。
「どこか遠くの話」ではなく、今、目の前の子どもたちのことだと気づいた瞬間に、立ち止まってはいけないと思ったんです。制度を調べる中で不登校特例校(現・学びの多様化学校)を知り、「明日からでも作りたい」という思いで動き出しました。
——通常は数年かかるところ、準備は1年未満。意思決定を押し進めた「推進力」の源はどこにありましたか?
「今、川で溺れている子どもを放ってはおけない」という思いです。川に溺れている子どもがいたとしたら、迷わず飛び込むと思います。同じように、制度が整うことを待ったり、前例がないからと止まるのではなく、まずは助ける方法を探して動く。そんな気持ちでした。
分校案も検討しましたが、教科の学びの担保や独自カリキュラムの観点から「本校」設置に舵を切りました。審議会を早期に立ち上げ、並行して教育課程案を作成。情報は逐次発信して合意形成を進め、議会承認へ。認可は2024年3月14日、ぎりぎりでしたが間に合わせました。
実は年度途中に動き出したということもあり、初年度はゼロ予算でした。クラウドファンディングなども検討しましたが時間的に間に合わず、職員と共に寄付を直接お願いして回り、なんとか約975万円を集め、補正で町予算に組み入れて執行しました。振り返ると、完璧な準備よりも、「やれるところから、すぐやる」が大事だったと思います。
——開校後、子どもたちの変化をどのように捉えていらっしゃいますか?
長く学校を休んでいた子が、また通い始める姿に何度も出会いました。体験から知へつなぐ学び、個に応じた進度や方法の“ハンドメイド支援”が効いていると思います。先生方は一律ではなく、子どもごとに最適を探し続けています。それが、日々の小さな「来られた」「できた」を積み重ねています。
結果として、9年生は希望進路へ。県教委とも連携し、内申の扱いも学校として正式に認められました。
「不登校」という言葉は、当事者を傷つけることがある言葉です。私たちは“ラベル”ではなく、子ども一人ひとりの現在地を見たいといつも思っています。学びの多様化学校は、「目的」ではなく、子どものウェルビーイングと自立に近づくための「手段」だと考えています。

——これから学びの多様化学校の設置を考える自治体の皆さまへ、メッセージをお願いできますか?
まず「何のために」を言葉にしてください。学びの多様化学校は“手段”です。その子に応じた複線的な進路を用意する発想で、最適な仕組みを選んでいただけたらと思っています。
目的と手段が明確になってからは、合意形成と制度手続きを丁寧に進めつつ、現場では小さく始めて学びながら整えていく。情報は隠さず開いて、仲間と支援を集める。最後に残るのは、人への信頼と“ラブ&ピース”。子どもを真ん中に置けば、道は自然と拓けます。
〈取材・文・写真:先生の学校編集部〉