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年齢・性別・国籍不問の自主夜間中学「はじめの一歩教室」。インクルーシブな学び場で起きた、学習者と支援者の変化とは?

年齢・性別・国籍不問の自主夜間中学「はじめの一歩教室」。インクルーシブな学び場で起きた、学習者と支援者の変化とは?

戦後の混乱の最中で義務教育を終了できなかった人や、さまざまな事情により日本で生活を始めることになった外国籍の人が学んでいるのが、夜間中学だ。

現在は17の都道府県で合計44カ所に公立の夜間中学が設置されているが、2022年文部科学省の調査によると、外国籍の子どもだけでも全国におよそ8,000人も義務教育を受けられていない不就学の状態にあり、現存する公立の夜間中学だけでは不就学の子どもたちへの支援は十分とは言えない。

そのような中、地域の方が支援者となり「自主夜間中学」が次々と立ち上がっている。そのうちの1つが、愛知県名古屋市にある「はじめの一歩教室」だ。外国籍の子どもから高齢の方まで、年齢・性別・国籍を問わないインクルーシブな学び場を主宰する、代表の笹山悦子さんに話を聞いた。

写真:笹山 悦子(ささやま えつこ)さん
笹山 悦子(ささやま えつこ)さん
愛知夜間中学を語る会代表・自主夜間中学「はじめの一歩教室」主宰

愛知県の県立高校で、長年国語科教諭として勤務。定年目前の人事異動により夜間定時制高校で勤務した際、学びからこぼれてしまう生徒たちと出会い、子どもたちにとってセーフティーネットとなる場づくりの必要性を痛感。2020年8月「愛知自主夜間中学を語る会」設立と同時に、毎週土曜日に自主夜間中学「はじめの一歩教室」をスタート。現在は、70人ほどの支援者と共に、年齢・性別・国籍などを超えた160人の学習者を受け入れている。

義務教育につながれなかった人たちに、すきまの支援を


――自主夜間中学とは、どのような取り組みなのでしょうか?


もともと日本には、夜間中学という公立の学校があり、戦争や経済的な影響により、小・中学校に通えず義務教育とつながることができなかった人が通っていました。

ところが日本が高度経済成長に差し掛かった1960年代に、公立の夜間中学の廃止勧告が出されたのです。学齢期の子どもたちは皆、昼間の学校に行きましょうって。でも実際は、昼間に学校に行くことができず、働かなければいけない人たちが多くいたのです。

そのような人たちのニーズに応えるべく、タケノコのように人知れず全国各地で立ち上がってきているのが、自主夜間中学なんですね。


――なるほど。自主夜間中学「はじめの一歩教室」もそのうちの1つなのですね。


そうですね。私が2020年8月に「愛知自主夜間中学を語る会」を設立すると同時に、自主夜間中学「はじめの一歩教室」を始め、月に3回土曜日に開催しています。最初は午後1時から4時までの3時間ほどの開催だったのですが、口コミでどんどん通ってくる人が増え、現在は160人もの方が通ってくれています。

「はじめの一歩教室」に通う人の9割が、地域に住むネパールやフィリピンから来た外国人。年齢はさまざまで、小学生から高校生までの子どもたちもいれば、社会人として日本語を学びに来ている外国人の方もいます。また、高齢者で一人暮らしをされている方も、私たちの教室に通っています。

ある方は戦争の影響で学校に行けず、読み書きができずに長年悩んでいらっしゃったそうです。だけど、「読み書きができない」なんて周りの人に言えない。そんな苦悩をずっと抱えてきたそうなのですが、自主夜間中学に通うことでようやく学びにつながることができ、読み書きについて学ぶことができる喜びを感じてくれているようです。


――年齢・性別・国籍を問わず、多様な人が学びを求めて通ってきているのですね


そうなんです。昨今、「不就学」に関する話題がニュースになったのを、皆さんはご存知でしょうか?

2022年に実施された文部科学省の調査によると、なんと8,000人を超える外国籍の子どもたちが、公立学校等および外国人学校等のいずれにも就学していないことが明らかになりました。また不就学だけでなく、2020年の国勢調査結果で、名古屋市の義務教育未終了者は、1万人を超えていることが分かりました。

これだけ義務教育につながれていない人たちがいるということは、本当は公立の夜間中学が必要なのだと思います。だから私は、困っている一人の小さな声に気づき、今の行政ではカバーし切れないすきまの部分に対して支援を積み重ねていくと同時に、公立夜間中学の必要性を伝えていきたいと思って活動をしています。

学習支援を超えて、地域とつながる場でありたい


――笹山さんが「はじめの一歩教室」を主宰するきっかけは何だったのでしょうか?


私は長年、国語科教員として高校で教壇に立っていましたが、定年が目前に迫った時期に、愛知県内にある夜間の定時制高校に転勤希望を出しました。ここで出会った子どもたちとの経験が、「はじめの一歩教室」を開くきっかけになりました。

私はそれまで国語科教員の傍ら、学校の教育相談担当として年間200件もの相談に乗るなど、生徒と向き合う経験をしっかり積んできたつもりでした。しかし、50代にして定時制高校に転勤してみたら、私の経験なんて全く役に立たなかったんですよ。

定時制に通ってくる子どもたちの3分の1は、外国籍の子どもたちでした。それから不登校を経験した子もたくさん在籍していました。外国籍の子であれば言葉が通じないし、不登校などを経験した子であれば、心が傷ついていて心が通じない状態にありました。

どちらにしても夜間定時制に通ってくるということは、さまざまな問題を抱えているという状態にあるということです。夜間の定時制高校というのは、高校卒業資格を取得するための最後の学びの場だと思うんです。まさにセーフティーネットの場。そんなセーフティーネットの場でさえ、通えなくなっちゃう子もいる。そういう子たちが社会で生きていく術を身につけていく場所が必要だと考え、教室の立ち上げに至りました。


――160人もの生徒さんたちを、どのように支援していらっしゃるのですか?


私のところによく届く質問が、「カリキュラムはあるのか?」「学習支援をするのに資格は必要か?」の2つです。

私たちの教室は「中学」と表示していますが、これだけ多様な人たちが通っていることもあり、カリキュラムはありません。基本は1対1で学びを進め、一人ひとりが困っていることを一緒に解決していきます。

次に支援者の資格の有無ですが、外国人が多く通う学習支援の場所だから、日本語教師の資格が必要だと誤解されることが多くあります。しかし、「はじめの一歩教室」の支援者は、資格不要です。学習者はもちろんのこと、支援者の年齢・性別・国籍・経験なんて一切問わず、関わりたい人・来たい人が来てください、と言っています。

だから教室の支援者は、基本的に近所のおじさん・おばさんを中心に、学生さんもいれば大学教授のような方もいて、全部で70人ほどの支援者がいるんです。


――多様な人たちを支援者として受け入れる理由は何ですか?


「はじめの一歩教室」は、学習支援の場であると同時に、通ってくる人たちにとって地域とつながる場でありたいと考えているからです。地域のおじさん・おばさんに、外国人の子たちが「おはよう!今日も元気?」とか「こんにちは!」と挨拶ができるような、顔が見える関係になってほしい。だから、地域の方たちにぜひ来てくださいと呼びかけているんです。

たくさんの人の言葉を聞いたり、話したりしてみることで、初めて自分の言葉が通じるのかどうか気づけるじゃないですか。

「私、時間があるから、おしゃべりに来るわ」と言ってくださった高齢者の方には「ぜひ日本語でいっぱい話しかけて、会話してあげてください。それも彼ら・彼女らにとっては勉強なんですよ。天気の話題とか、季節の行事の話題とか、日々の会話の中には学びがいっぱい詰まっているんですよ」と伝えて、支援者として教室に来ていただいています。

最近は、これまで学習者だった子が支援者になるということもありました。学習者として教室に通っていたネパールの子が、母国のカレーを作って皆で食べたり、英会話を教えたりし始めたんです。学習者が支援者になり、支援者が学習者になる。このような双方向の関係が「はじめの一歩教室」にはあります。


インクルーシブ教育には、お土産がある


――「はじめの一歩教室」は、支援者と学習者という垣根を越えて、共に学び合う場なのですね。


朝から晩まで教室にいると、支援者と学習者のどちらもが変容する姿にたくさん出会います。彼らの変容が、私にとっての宝物です。

先日ある支援者さんが私に「私、変わったんですよ」と言いに来てくれました。町で外国人に出会ったとしても、言葉さえかけられなかったその人が、自分から挨拶できるようになった、一人で過ごしている子がいれば、少し気にかけるようになったというんです。

そういう意識の変化って、実はものすごく大きな変化だと思うんです。私がほんの少しだけ関わったことによって、そういう変化の機会を提供できたということは、私にとっては本当にうれしいことでした。


―素敵なエピソードですね。


ありがとうございます。でも実際の子どもたちが直面している現実は、大変な状況が多いこともまた事実です。例えば親の仕事の都合で、幼い頃から離れ離れで暮らしていたネパールの子が、ようやく来日して高校に通おうとしたときのエピソードについてお話します。

その子が高校の門戸を叩いたとき言われたことが、「日本語学校に行ってから、高校に来てほしい」ということ。しかし日本語学校で学ぶ内容は、ビジネスの場面で使う日本語がほとんどで、「二項定理」とか「桶狭間の戦い」のような学習に必要な言語は扱いません。おまけに、月謝も高いんですね。

私たちのような地域の学習支援教室はあるけれど、開催頻度が低いため、その子たちに十分な学びの場を提供してあげられていないという事実も一方ではあります。そうすると、せっかく来日したとしても、学習言語を学んでいないため高校進学も難しく、結局挫折して帰国し、また家族と離れ離れに暮らすことになってしまう。そんな状況を私は変えたい。

だから自主夜間中学の主宰と並行して、公立の夜間中学の立ち上げを呼びかける運動もしているのです。


―笹山さんの呼びかけによって、多様な人にとって学びが保障される場が実現されることを切に願います。


そうですね。外国人が日本でずっと暮らしていきたいと願ったときに、我々地域の日本人と共に互いが学びあうことが大切だと考えています。一方で、愛知県内の外国人が多く定住するような自治体の県立高校内に、外国人対象の中高一貫校のような学校を作ろうとする動きがあります。私はこの動きには疑問を感じています。

外国から来た子たちが中学・高校の間、日本の社会と隔絶された環境で、日本人と交わらずに育ったらどうなると思いますか?私は、日本人と連携をとって協働することがますます難しくなると思うのです。

世界中でインクルーシブ教育が謳われているのは、子どもたちにとってお土産があるからだと思っています。インクルーシブ教育のいいところは、お互いにでこぼこがあって当たり前だという前提に立って、その中でぶつかりあいながら調整し合うことで、折り合いをつける力を身につけられるんですよね。

確かに、外国人の日本語支援っていうのはとても時間がかかる。だけど、子どもたちを日本社会と分断させて、言葉の支援だけに特化することが、本当に彼らのニーズとマッチしているのだろうかと私は疑問です。


―インクルーシブな環境で過ごすことは、大変さもある一方で、たくさんの恩恵が得られるものでもあるのですね。


言葉の習得というのは、やりとりや体験の中で初めて、真に理解できるようになると思っています。例えば、日本人が当たり前に使っている「ざあざあ」「さらさら」「ポツンポツン」などのような擬音語や擬態語。これらの日本語は、日本語能力検定だと最高難度に相当します。

でも実際は、小学1年生の国語の教科書に出てきていて、日本人の子どもたちには馴染みのある言葉です。それはやはり、小さな頃からたくさん日本語に触れ、日本語でのやりとりを繰り返しているからなわけで。ということは、単に日本語を教えるだけでなく、インクルーシブな場で過ごすことが、真の意味で言葉を理解することにもつながりますし、日本社会について理解することにもつながるんですよね.。

だから私は今後も、年齢・性別・国籍などに左右されず学びにつながれる環境を実現するために、社会に埋もれている小さな声に気づき、すきまの支援を続けながら、公立の夜間中学が良い形で実装できるよう声をあげ続けたいと思います。


<取材 ・文 ・写真:先生の学校編集部>