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誰もが同じ人間としてつながり合い、たった一人の「ともだち」になれたなら。“良い出会い”から、インクルーシブな世界を目指すFox Project

誰もが同じ人間としてつながり合い、たった一人の「ともだち」になれたなら。“良い出会い”から、インクルーシブな世界を目指すFox Project

障がいのある子どもたちが、一生を通じてその関係性を育んでいけるような「ともだち」をつくることができないだろうか。

そう考えて、2021年にFox Projectを立ち上げた藤原さとさん。誰もが共に学べる環境をつくるために何ができるのか?という問いの探究を今も続けながら、世界的名著『星の王子さま』からヒントを得て、ゆるやかに活動中だ。

「特別な支援を必要とする子どもたちも含めて、全ての子どもが子どもたちの中で育つ意味がある」と考える藤原さんに、Fox Project立ち上げの経緯や活動内容、現在の日本の特別支援教育について感じていることなどについて話を聞いた。

写真:藤原 さとさん
藤原 さとさん
Fox Project Co-Founder

慶應義塾大学法学部政治学科卒・米国コーネル大学大学院公共政策学修士(M.P.A.)。大学では正義論を専攻し、生まれた地位や経済・社会的状況、国籍や人種、性別や身体的・認知的特性などに関わらずに、誰もが幸せに生きるということはどういうことかを研究。卒業後は日本政策金融公庫やソニー、医療ベンチャーなどを経て、2014年に良質な探究学習の一般普及を目指す「一般社団法人こたえのない学校」を設立。2018年には米ハイテックハイの教育プログラムを日本に導入。2021年夏にインクルーシブな社会に向かうためのFox Projectを立ち上げる。

お互いにとってなくてはならない「ともだち」をつくりたい


――藤原さんがFox Projectの立ち上げに至った経緯について教えてください。


もともと私は、探究する学びをテーマとして、教育者向けのプログラムに取り組んできたのですが、いずれは福祉領域・特別支援にもアプローチしたいと思っていました。

そんなあるとき、大阪の府立高校が取り組む反貧困学習について特集したNHKの番組を見る機会があり、Twitterに感想を投稿したところ、その高校のPTAをされていた門川泰之さんという方から返信をいただきました。それを機に始まった門川さんとの交流が、Fox Projectの起点となりました。


――門川さんとはどのようなやり取りをされたのですか?


門川さんには、ボーリング・オピッツ症候群という、日本でも数例しかない遺伝疾患を持つ未來(みく)くんという息子さんがいました。未來くんは、障がいの程度でいうなら重度・重複に区分され、話すことができません。言葉を理解することもできていないように見え、移動は車椅子です。

そんな重い障がいを抱える未來くんだけれども、小学校から高校まで地元の学校に通い、友だちと一緒に交流し、中学では吹奏楽部に所属し、皆勤賞だったそうです。未來くんは、皆がいい演奏をしたときはとても良い表情をするそうで、皆は未來くんの笑顔を目指して練習したことなど、多くのエピソードを聞きました。


お話を聞く中で、門川さんが繰り返し力を込めておっしゃっていたのは、「学校の先生は、重度の障がいのある子から関わりを持っていくといい」ということでした。

そうすれば、中程度の子も軽度の子もグレーゾーンの子も、皆インクルーシブになる。多様な子どもたちがいる中で助け合う場面が生まれ、むしろ良い環境ができていくのではないか、と。確かにそうかもしれないなと思いました。

もう1つ、門川さんに未來くんに究極的に何が必要かという質問をしてみたところ、「ともだち」と言われました。最初はそれが意味するところがつかめなかったのですが、ふとサン=テグジュペリの『星の王子さま』に出てくるキツネの話を思い出したんです。


――星の王子さまとキツネが友達になった場面がありますね。


そうです。キツネは王子さまに、友達になる方法を教えます。はじめはじっとしんぼうして、少し離れたところに座ること。言葉を使わず、だんだん近くに座ること。次には同じ時間にやってくること。本の中では「なじみになる」と表現されていますが、なじみになるとはどういうことなのかと王子さまから聞かれたキツネは、こう答えます。

「君はまだぼくには、ほかの十万人の子どもとまるで違いがない子どもさ。だから、ぼくは君がいなくても気にしない。君のほうでも、君はぼくがいてもいなくても気にしないだろ?」

「だけど、君がぼくのなじみになってくれたら、君とぼくとは、お互いになくてはならない者同士になる。君はぼくにとって、この世でたった一人の子どもになるし、ぼくは君にとって、この世でたった一匹のキツネになるのさ・・・・」

出典:サン=テグジュペリ『星の王子さま』稲垣直樹[訳]平凡社ライブラリー(2006)


門川さんと未來くんのいう「ともだち」とは、星の王子さまとキツネのような関係のことでした。障がいの有無に関わらず、誰しも同じ人間としてお互いの弱さや力強さを分かち合う、お互いにとってたった一人の「ともだち」がほしいということだったのです。


――なぜ「ともだち」なのでしょうか?


例えば未來くんのように重い障がいがある場合、多くの地域では、学校でもどこでも、分離された環境で育つことになります。そして学校卒業後は行き場の選択肢が極めて限られることとなり、一般的に親が引き取り、作業所や、施設に行くことになります。家族以外に頼れる存在がいなければ、将来両親が亡くなった後、その子はどうなってしまうのでしょうか。


そんなときに、小さい頃から一緒に触れ合って、人間関係が構築され、お互いの人格を認め合えている「ともだち」がいれば、将来が違ったものになるのではないか。「ともだち」は、そんな希望を生み出してくれる存在なのです。



星の王子さまとキツネのように、「せかいでたったひとりのともだち」になるためには、ある程度の時間が必要です。まずは教育や医療、行政、保護者やクラスメイトなど、さまざまな立場の人たちにお話を聞き、つながっていくことで学び合うことが大事だと感じました。そんな思いから立ち上げたのが、Fox Projectです。


子どもは、子どもたちの中で育つ


――Fox Projectでは、具体的にどのような活動をされているのでしょうか?


当事者の皆さんやその人を取り巻くさまざまな方にお話を聞き、インタビュー記事をサイトで公開したり、少しずつ「ともだち」に近づいていけるようなイベントを企画したり、世界のインクルーシブ教育を視察するツアーなども計画しています。最近では、東京都内の高校と連携して、「全ての子どもたちが子どもたちの中で育つ世界を創るには?」という問いを探究する総計50時間以上のプロジェクト型の授業も行いました。


ただ、今でこそ活動の幅が広がってきましたが、プロジェクト開始当初は、私自身が無知だったこともあり、何をすればいいのかは見えていなくて。ひたすら当事者の方々のお話を聞き続け、ようやくFox Projectとしてできることが見えてきたのはデンマークへ視察旅行に行った2022年夏のことです。


――デンマークへは何を視察しに行かれたのですか?


デンマークは、障がいのある人もない人も同等に生活し、共に生きる社会を目指すノーマライゼーションという理念の発祥地とされています。そのデンマークにおけるインクルーシブ教育とはどのようなものなのかが知りたくて、視察に訪れました。


訪れた場所は、ハーサ・コミュニティという、30人の知的障がいのある人たちが健常な人たちと一緒に暮らす150人ほどの小さな村と、フォルケホイスコーレの1つであり、北欧有数のインクルーシブ教育のモデル校とされるエグモント・ホイスコーレンという学校です。どちらも思想や仕組みが素晴らしく、日本の特別支援教育やインクルーシブ教育への展開を考える上での示唆にあふれていました。


例えばエグモント・ホイスコーレンでは、重い障がいのある生徒も障がいの内容に関わらず、可能な限り受け入れるスタンスを取っています。おもしろいのは、その仕組みです。フォルケホイスコーレは通常入学試験がありませんが、エグモントに関しては、障がいのある学生が、自分のヘルパーとなる学生を面接して選考します。ヘルパーとして選ばれた学生は、19週間から24週間を一緒に過ごすのだそうです。


もう一つ唸らされたのは、カリキュラムの中身。アートやヨガ、音楽やスポーツ、アドベンチャーなど、障がいがあってもなくてもフラットかつ真剣に一緒に取り組める“何か”を中心に置いた授業になっていました。そのせいなのか、学生たちは皆笑顔で、学校全体が明るい空気に満ちあふれていました。


以前から、当事者の方々から「ケアする/される関係性ではなく、皆が一緒に楽しめて、個々人の人間性も感じられるような“何か”を中心に置く形でつながりたい」と言われていたのですが、その話と、エグモントで見た光景がぴたっと重なったんです。


――分離のイメージが先行する日本の教育現場とはだいぶ様子が違いそうですね


デンマークの視察後、今の日本の状況を改めて見てみると、いろいろなことが気になってきました。もちろん、全ての子が一緒の教室にいるのは理想ですが、現状いきなりそこまでいくことは難しい学校もあるかもしれません。

しかし、そもそも特別活動や学校行事などですら障がいのある子が一緒にいられないのはおかしくないでしょうか。身体を自由に動かせない子と一緒に運動会を開催したり、医療的なケアを必要とする子と一緒に修学旅行をするにはどうしたらいいかを、子どもたちが主体的に考えてもいいのではないないでしょうか。

例えば、防災活動においては、災害時に最も支援を必要とする障がいのある人たちが避難訓練に参画しないのはどうなのか。また、特別支援学校では、視線入力の機器を使って遊べるゲームや、iPadを使った簡単な意思表示ソフト、花壇に水やりができる道具などを先生たちが自前で作っていたりします。

その優しさは素晴らしいと思いつつも、こうしたことはむしろ子どもたちの方が得意なように思えます。これをプロジェクト化して、地域の学校の子どもたちが一緒につくってみてもいいのではないか…などといった思いが湧き起こってきました。

もちろん、特別支援教育を行う上で、専門的なスキルを保有する先生たちにお任せするべきところはそうすべきです。ただ、何か違うものを中心に置いて、お互いに“良い出会い方”ができるような設計がどうにかできないものかと考えていますし、“良い出会い”を作り出していくのがFox Projectの役割だと考えて活動しています。


――“良い出会い方”をする。これは全ての先生にとって大切なポイントだと思います。分離することを前提とした今の日本の特別支援教育についてはどうお考えですか?


率直に言って、分離教育は多様な子どもたちが、共に過ごすからこそ得られる成長の機会を奪ってしまっているのではないかと危惧しています。

例えば、私の娘は、幼少期にアメリカの現地校に通いました。英語の習得のペースがゆっくりで、1−2年は英語が全くしゃべれず、先生の指示も理解できないし、友達との会話もままならない状況でした。

しかし、アメリカでは「(どんな重い障がいのある子であっても)まず通常クラス内で対応可能かということを第一選択肢とする」ということがIDEAという連邦法で定められています。娘も当たり前のように通常学級でずっと過ごしました。

苦労しながらも、片言の英語で自国の文化を紹介する機会があったり、折り紙の先生としてクラスメイトに慕われたりと、彼女の成長に大きくつながる経験をたくさんしました。異文化から来た娘と交流することで、クラスメイトたちにも何らかの影響がもたらされたはずです。分離されていたらこうした機会は得られなかったと想像すると、少し怖くなります。

また、別の例では、Fox Projectに重度心身障がいの息子さんを持つメンバーがいます。以前、その息子さん(まさきくん)も一緒に軽井沢の学校を視察で訪れたときのこと。最初は遠巻きに見ていた学校の子どもたちが次第に集まってきてくれて、交流が生まれてくると、彼の顔がどんどん引き締まり、表情が出てきたのです。

見る見る活力を増していく様子に目を見張りました。さらに、もう何年も胃瘻(いろう)で食事をとっていた彼はその日、数年振りに口から食事をとることができたんです。

これにはお母さんも驚いていました。またその学校からも、まさきくんと触れ合う中で、なかなか心を開くことができなかった生徒に変化が見られたと感謝の連絡をいただきました。


そんな奇跡のような出来事が、子どもたちとの相互作用の中でどんどん起きてくる。そう考えると、特別な支援を必要とする子どもたちも一緒にいる方が良いのではないかと思います。

「かんじんなことは目に見えないんだよ」とは『星の王子さま』に出てくる一節ですが、本当にその通りです。障がいのある子どもたちと一緒にいると、目の前に見える姿だけではなく、その子の奥底にある豊かな世界の存在に気づかされます。

10cm先のほしいものに手を伸ばすにも、ロッククライマーのような努力を毎日している子たちのレジリエンスの力、人間性から私は学ぶことばかりです。そんな経験を全くせずに、特別支援は面倒で大変なものだとして分離するのはもったいない。

子どもたちが子どもたちの中で一緒に過ごすことは、教育的にも非常に意味があるのだということを、Fox Projectを通して伝えたいと思っています。


知らないことを恐れずに、モヤモヤしながら進んでいこう


――Fox Projectを立ち上げてから、インクルーシブ教育についてご自身の中で新たな気づきや変容はありますか?


2年前と比べると、目の前に見えているものだけでいろいろなことを判断しなくなりました。軽井沢に行って重度心身障がいのまさきくんと2日間を共に過ごすと、だんだん表情が読み取れるようになってくるんです。

彼は言葉が話せないため、少し辛かったり、不快だったりするときに、首を横に振って意思表示することができません。そうしたときに、口から唾を吐き出して教えてくれるのですが、その行為の理由を知っていれば、気づいて対応してあげられる。

けれど、唾を吐くことが唯一の意思表示手段だと知らなければ、怖いと思ってしまうこともあるでしょう。そんな風に時間を共に過ごしていくうちに、自然にその行為の奥にある何かを見るようになります。その姿は美しく、カッコいいなぁとすら思うようになっていきました。


――目の前で起きていることの向こう側を想像しようとする人が増えていくと、インクルーシブな社会にもっと近づいていくように思います。最後に、この記事を読む先生方へのメッセージをお願いします。


インクルーシブ教育や特別支援教育は、決して面倒なものではなくて、意味があり、楽しいものであるという風に考えていただきたいなと思っています。そのためには、同じ人間としてつながり合い、いい関係性で時間を共に過ごせるといいですよね。そのための第一歩として、先生方や教育分野に関わる方々にはぜひ当事者の方々が過ごす現場に行っていただきたいと思います。会ってみて、一緒に過ごしてみないと分からないことが、この領域では多すぎるからです。

特に、テストで測れるような知識・技能だけではない非認知能力を発揮する場面が多く、今までになかったものを生み出すプロジェクト型学習とインクルーシブ教育は相性が非常に良いと思います。アメリカの哲学者ジョン・デューイは、「探究のサイクルは不安から安心への移行だ」と言いました。初めは誰しも不安だし、モヤモヤしているし、先なんて見えていないけれども、そこに何らかの仮説や問いが立ったりしながら、学んでいくのだと。


特別支援やインクルーシブのテーマも同じです。今まで自分の経験の中にはなかったものに出会って、最初はどうすればいいか分からない。けれどもそこに何か意味を感じながら学んでいくプロセスは、特別支援教育やインクルーシブ教育をするにあたって非常に大事なマインドセットだと思います。

インクルーシブ教育はかくあるべきという理論から入るのではなく、まずは出会ってみて、しゃべってみて、一緒に過ごしてみる。そこで小さな失敗があったとしてもいいんです。それだけ障がいというものは多様で、触れ合い方や環境によってその子の状態も変わるのですから。まずは先生方が経験し、豊かな学びを増やしていただけたらうれしいです。


<取材・文:先生の学校編集部 / 写真:ご本人提供ほか>