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社会人と中学生の2on1通年キャリア対話とは?「えらんだミチ」を、豊かに支える「マイメンター」の軌跡

社会人と中学生の2on1通年キャリア対話とは?「えらんだミチ」を、豊かに支える「マイメンター」の軌跡

人の生き方そのものを表す「キャリア」を豊かにしていくための学びは本来、何かの枠組みに収まるものでも、明確な型があるものでもありません。

しかし、個々の進路実現が一つのゴールとなる中学校においては、「職場体験」や「職業講話」など、インプット重視の「ロールモデル提示型」の学習活動に終始してしまうことが多いのではないでしょうか。

そこで今回は、自身のミッションに「学校と社会をなめらかに」を掲げる私が実践した社会人と中学生の2on1キャリアセッションプログラム「マイメンター」をご紹介します。

社会人という存在を、ロールモデルとしてではなく、生徒一人ひとりのキャリアを支える存在として位置づけ、学校現場に参画してもらったこの実践が、「キャリア教育」のあり方に一石を投じるきっかけになれば幸いです。

写真:遠藤 忍(えんどう しのぶ)さん
遠藤 忍(えんどう しのぶ)さん
認定NPO法人Teach For Japanの7期フェロー

1988年、茨城県生まれ。慶應義塾大学湘南藤沢キャンパスにて、教育を中心にさまざまなプロジェクトに明け暮れ、2013年に修士課程を修了。新卒で入社したマーケティングリサーチ企業にてデータ分析と人事(採用・研修開発)を担当し、2019年より認定NPO法人Teach For Japanの7期フェローとして、福岡県飯塚市の中学校にて3年間講師を務める。教科は英語、主な分掌は情報教育・生徒会顧問。2019年入学の学年の副担任として、学年内の総合学習を3年間企画・運営した。現在は、民間企業の人事職として、障がい者雇用プログラムの運営に携わる。


「マイメンター」とはどんな実践なのか

この実践は、福岡県飯塚市の外れ、田畑に囲まれたのどかなエリアにある中学校で行いました。対象となる中学3年生の生徒数は45人。2クラス編成の小さな学年です。

小中一貫校であるため、9年間同じ顔ぶれで過ごしてきた生徒たち。その仲間たちに会いたいから学校に来るけれど、苦手な勉強に対してはあまり気乗りしない、といった生徒が多い印象でした。

学校から徒歩30秒の風景。まさに、片田舎の小中一貫校


今回取り組んだ実践「マイメンター」は、この45人の生徒一人ひとりに、「メンター」として2人ペアの社会人をつけ、年間5回にわたり、同じメンターとの対話をオンラインで実施するものです。

毎週木曜日の5・6時間目に設定されている「総合的な学習の時間」のうち、5時間目を1組の生徒との対話、6時間目を2組の生徒との対話、と設定することで、社会人1ペアにつき2人の生徒を担当してもらう形式を取りました。

この取り組みを成立させるには、生徒と同数の社会人の参加が必要でした。結論からいうと、44人の社会人がこの取り組みに参加しました。

FacebookとTwitterを用いて募集を実施し、私の知人と「はじめまして」の方とで半分ずつの構成になりました。全体の半数以上が、事業会社の人事や人材関連企業に勤務している方々でした。

また、半数程度の方が国家資格キャリアコンサルタントの有資格者でした。ほとんどの方が関東在住でしたが、遠くマレーシアからの参加もありました。

社会人との対話の様子。
一人1台PCと高速ネットワーク環境のおかげで実現した


生徒たちとの対話は2カ月に1回の頻度で設定し、6月に開始しました。

毎回の対話のテーマは以下の通りで、進路に関するスケジュールや、前年度までの総合学習の取り組みを踏まえて設定しました。

6月】 顔合わせ・自己紹介
8月】 夏の三者面談を終えて
10月】 「わたしのキャリアデザイン」制作
12月】 発表会への準備 / 受験を目の前にして
2月】 最終回


実施校では毎年、将来就きたい職業から逆算して、中学卒業後からその職業に至るまでの進路を計画する「わたしのキャリアデザイン」スライドの制作と発表会を実施していました。

本年はこれを踏襲しつつ、生徒個々人の過去・現在・将来を対話を通じて整理し、その上で直近の進路もからめてスライド作成&発表会を行うこととしました。

「マイメンター」による対話の時間は、その中核だったわけです。

わたしのキャリアデザインでは、
「いままで」「このあと」「それから」の軸で、キャリアの見通しを整理した


中学生のキャリアに社会人が関わりを持つ、新たなモデルの構築へ

1年間の総合学習のテーマを、「えらんだミチをかたる」に据えました。

ここには、ある個人的な体験からくる思いを込めています。

認定NPO法人Teach For Japanでは、教員免許の有無に関わらず、教育に熱意を持つ人を「フェロー」という形で採用・研修を行ったのち、地方自治体に講師としてマッチングを図っています。

私もこの座組みで中学校の教壇に立ったのですが、「2年間は教師として働き、その後は自分でキャリアを切り開いてください」という決まりがありました。

もちろん、教師を続けてもよいのですが、私は思い切って、新たな方向へキャリアシフトを図ろうとしました。しかしその挑戦が叶うことはありませんでした。お恥ずかしながら、キャリアに関する挫折感を味わったのは、このときが人生で初めてでした。

この挫折を味わったとき、勤務校の生徒たちに「なりたいものになれない」という経験をさせたくないという思いと、「そもそも何がしたいかなんて分からない」という悩みを抱えた生徒が実は多いのではないか、そんな仮説が私の中に浮かんできました。

テストのスコアによって、自分の希望の進路を諦めざるを得なくなる生徒もいれば、テストのスコアをもとに、自分が行けそうな進路を選ぶ生徒もいるでしょう。しかし私は、そうした意思決定をさせたくはなかったのです。

自分が選んだ進路を、自分自身で納得して語り、誰一人「なんとなく選んだ」と言わないようにすること。それが、今年度の総合学習のコンセプトになりました。

対話に臨むにあたっての事前学習。
毎回のテーマに合わせ、自己を振り返るワークシートを埋める


「えらんだミチをかたる」というテーマには、「道」と「未知」という言葉をかけています。過去の経験や現在の自分の興味関心を語り、メタ認知することで、自分自身の強みや価値観が見えてくる。

他方で「未知」、つまり今後の将来について考えを巡らして語ることで、そこからの逆算で「今、何をすべきか」が明確になり、自然と進路決定(多くの生徒にとってそれは受験)に向けた取り組みに落とし込まれていく。

そうすることで、将来からの逆算と、過去・現在からの積み上げと、双方のキャリアデザインが可能になると考えました。

これまでの進路学習においては、この「自己認知を図る」ことと「将来の見通しを持つ」ことが、生徒個々人に委ねられていたように思います。生徒個々の考えを、じっくりと対話によって引き出し、整理し、気づきへ昇華させることは、時間的にも人数的にも、難しさがあったのではないかと思います。

このことに風穴を開けるべく、私が考えたのが「社会人、特に人のキャリアに深く関わる人事の方々に、職業人のロールモデルとしてではなく、対話を通じて生徒のキャリアを支える存在として、通年で生徒たちに関わってもらう」というモデルでした。

この取り組みにより、生徒に学びがあると確信していたと同時に、このモデルを通じて参加した社会人にとっても、大きな学びがあるとも確信していました。

それは「利害関係を持たない中学生を相手に対話をすることの難しさ」を経験することで、一人ひとりのキャリアを支援すること、ひいては、人と向き合うことの難しさについて、学びほぐしができると思ったからです。

ここに、「ロールモデル提示型」に見られる「持っている人が、持っていない人に差し出す」ような社会人と生徒/学校の関係性を脱し、関わる全ての人々が、対話を通じて何かしらの学びを得る、というモデルの可能性を見たのでした。

社会人どうしをつなぐSlackと、
生徒とメンターをつなぐメッセージシート


学び手たちが感じた「マイメンター」の価値

事後の生徒たちの振り返りには、こんなコメントが寄せられました。

  • 自分にはたくさんの才能があることに気づきました。人の役に立ちたい才能、多くのことを同時に進める才能、それらはちょっとした「才能」なんだと思います。この「才能」を捨てたり失ったりする前に、自分の物にして、たくさん使うことが大切だと分かりました。
  • 自分の気持ちを相手に話せるようになりました。初めの2回は将来についてあまり考えておらず、聞かれたことに対して曖昧な返事で返していたと思います。この時間を無駄にはできないと3回目の対話に臨んだところ、メンターのお二人と話す中で、自分のやりたいことは「人に関わることだ」と気づくことができました。

社会人との対話を通じて、自分の考えを整理したり、自信を持って進路を決めることができた様子を、これ以外のコメントからも見ることができました。

他方、社会人たちからは、こんな学びを得ることができたという声が寄せられています。

  • 今回、遠く離れた福岡の地にいる中学生の方との語りを通じて、世代や地域を超えて共有できるものと、そうではないものについて考える機会を得ることができました。1年の中で、5回の面談の機会を通じて、将来に対する方向性や解像度を次第に高めていく様子を拝見し、1年でこんなに考えを進めて行動することができるんだ!と感動しました。勿論、最初は見知らぬ大人との突然のセッションということで対話が成立しづらく、単発の質問だけになってしまったり、気まずい沈黙が流れる瞬間もありましたが、1年間続けて生徒さんの成長を見ることができ、非常に有意義な時間となりました。
  • 担当生徒の成長に驚き、対話から学びを多く得た機会でした。担当生徒の一人は、2回目の対話まで問いに「分からない」との返答が多く、戸惑いが全面に出ていました。ただ、夏休みを経た3回目に印象が一変。何があったのかと社会人側が動揺するほどの成長でした。後から本人に理由を聞くと、社会人が残した問いにこれではいけないと向き合い、考えてくれた結果でした。「人はこんなにも短期間で変化し、吸収し、成長できるのだ」と本当に励まされました。その生徒との対話では以後「分からない」はなくなり、考えを伝える姿勢を貫き、伝える力にも成長が見られたと感じます。また、私自身も普段の常識から離れ、良い問いかけは何かを考える良い機会になりました。はじめは長期間にわたり関わる責任や不安もありましたが、生徒の成長を感じるには必要な期間だったと思います。この「長期間の関与」こそが生徒側、社会人メンター側共に良い影響を生み出した企画の肝であったと感じています。

生徒たちの進路決定を支えるつもりで関わった社会人たちも、各々学びを得ることができたことが、コメントからもうかがえるでしょう。

 
一人ひとりのキャリアを支える関係を、豊かにする

「マイメンター」の取り組みは、生徒やメンターたちが学びや気づきを得たことだけにとどまらず、教師の側にとっても大きなメリットがありました。

それは、日常の関わりや、教育相談等の面談機会では引き出しきれない、本人の進路に対する考えや悩み、本人が捉えている強みや特性を、新たな側面から知ることができた、という点です。

メンターたちには、毎回の対話終了後に、生徒に対するメッセージ・担任教師に対するメッセージを書いてもらい、4回目となる12月の対話後には「生徒に関する最終レポート」をまとめてもらいました。メッセージやレポートにしたためられた情報の中には、メンターたちに比べて多くの時間を共にしている私たち教師ですら気づいていなかったことが書かれていたのです。

メンターの多くが「難しい、けれど大事」と捉えていた、肩書きを伴わず、対等な関係で対話をすること。その実現のために、安全・安心な場を、メンターなりにそれぞれ形成したこと。そして、2カ月に1度という、絶妙な間隔で対話をするという機会の設計。これらが、生徒たちの本音を引き出したと言えます。

親でもない、先生でもない、赤の他人の「メンター」たち。しかしそのメンターたちは、叱ったり、指導したりするのではなく、問いを投げかけ、話を聞き、承認をしてくれる存在でした。

そうした存在が増えていくことは、間違いなく「豊か」な関係性の広がりだったと思います。

対話直後にメッセージシートを記入。
メンターが記した「発見」や「助言」が、生徒にとってのヒントになった


この実践を通じて、私が気づいたことは大きく2つでした。

一つは、「ロールモデル提示型は、やっぱり必要」ということ。将来の目標が決まっていても、そこに向かって具体的にどうすればいいかをイメージするには、ロールモデルが必要です。

他方、将来の目標が定まっていない原因には「選択肢の少なさ」が間違いなく挙げられます。

今回のメンターたちは、生徒たちの伴走者として、自身がロールモデルになるとまではいかなくとも、一緒に調べたり、考えたりすることで、目指す方向を考えるきっかけを与えてくれました。

もしも生徒たちが、中3よりももっと早いタイミングで、ロールモデルとなる人々と出会えていたら、今回のメンターたちによる伴走は、さらに違ったものになっていたかもしれません。

もう一つは、「生徒たちはキャリアを自分で考える力を持っている」ということ。ほとんどの生徒が、自身のキャリアについて「考えたこともない」「分からない」という段階からのスタート。しかし、生徒たちは最終的に自分の「えらんだミチ」について言語化することができました。

その成長ぶりを目の当たりにして、「自分の関わりが生徒の成長を引き出した」と述べたメンターはほとんどいませんでした。その様子を見るに、生徒たちは各々のペースで、自分なりに今後の進路についてイメージを膨らませていたのだと思います。

ただ、それを言語化したり具体の行動に落とし込んだりするための、語彙や手段を持っていなかっただけなのではないか。とすると、社会人メンターという、新たな視点を持つ「他者」によってもたらされる問いかけや承認といった関わりは、そうした語彙や手段の獲得を加速させる仕掛けだったとも言えるでしょう。

「わたしのキャリアデザイン」のレビューを受ける様子。
メンターの問いによって考えが広がり・整理された


いずれ時が経てば、おのずと形作られていくであろう、それぞれの「キャリア」のあり方。「キャリア教育」の必要性が叫ばれる以前から、ティーンたちはそれぞれのタイミングで「選択」してきたはずです。

しかし昨今、多様性が叫ばれる中、「何にでもなれる」「何でもできる」という可能性の広がりゆえに、「選択」に不安が伴うようになってきたはずです。

だからこそ必要なのは、その不安を和らげ、あるいは可能性に対する解像度を上げていく、といったプロセスを支えてくれる存在。また、そうした存在の「豊か」な広がりなのではないでしょうか。


「えらんだミチ」を信じるために

そうした関係性を豊かにしていく上で、「社会人」の存在は必ずしも必要だとは思いません。

もっとも、「マイメンター」に関わった大人たちが、「学校」になくて「社会」にあるものを「授ける」といったスタンスであったとしたら、今回の実践はうまくいっていなかったはずです。

肩書きを外した、利害関係のない立場での関わりこそが今回の実践のポイントであり、それは大学生などの「先輩」でもいいかもしれませんし、地域の保護者の可能性もあり得ます。たまたまそうした存在が、「キャリア」に深い思い入れを持つ、全国各地からオンラインで集まった大人たちだった、というだけのことです。

そして、教師自身も、生徒一人ひとりのキャリアを豊かに支える存在になれるはずです。しかし、関係性が日常に埋め込まれ、指導や評価といったプロセスの影響を受けやすい状態においては、利害関係を超えた存在になりたくてもなれないという側面があると思います。

かく言う私自身、全ての生徒に対して、それぞれの自己実現を支えたいという理想を抱きながらも、そこにはさまざまな意味で限界があると感じました。自分ができないのであれば、誰かの力を借りればいい。そうして「マイメンター」の発想が生まれたのです。

私たち教師集団も、初回こそ「失礼のないように」と目を光らせていましたが、2回目以降はただ「見守る」ことに徹することができました。それは、生徒たちの顔つきが、徐々にほぐれていく様子を目の当たりにしたからに他なりません。

最後の対話セッションを終えた生徒たちの顔つきは、とても晴れやかでした。たった5回ながらも、10カ月の長きにわたって関わりを持った相手との別れに対する一抹の寂しさもありつつ、それ以上に生徒たちの中にあったのは、自分の「えらんだミチ」を信じていいんだ、という感覚だったのでしょう。

1年間の対話の総まとめ。
促さずとも、生徒たちの筆がするする動く様子に、教師たちは驚いた


生徒たちの中にはすでに「えらんだミチ」があるという前提から出発し、「授ける」のではなく「引き出す」に重点を置いた今回の実践。

最終回のあと、A4で用意した感想用紙は、教師が特に指示をしなくとも、自然とびっしり埋まっていました。最後に、ある生徒の「まなび・きづき」の箇条書きを紹介します。

  • 1つの目標に向かって着実に頑張れるようになった
  • 上手い下手ではなくて自分の言葉で伝えることが大切
  • 人との出会いに感謝をできるようになった
  • 周りの人を大切にするのと同じように自分も大切にする
  • 自分がこれまでやってきたことに自信を持つことができた