登校できないことを「苦しみ」にしない学校へ。東京都のチャレンジスクール・世田谷泉高校が目指す公正な教育とは?
「学校に行けない」ことが、生徒の「苦しみ」にならないように。東京都のチャレンジスクール・世田谷泉高校は、不登校経験のある生徒を受け入れ、安心して学べる環境を提供してきた。しかし、登校できる生徒の卒業率はほぼ100%なのに対し、登校が難しい生徒は単位を取得できず、卒業に至らない現実がある。
「大切なのは学ぶこと。登校できなくても、学び続けられる仕組みをつくる」。そう決心し、「世田谷泉2.0」への進化を進めてきたのが沖山栄一統括校長(肩書きは2025年2月取材当時)だ。
「生徒が学校に合わせるのではなく、学校が生徒に合わせる」という理念のもと、不登校という概念に縛られない新しい学びの形を模索する沖山校長に、学校DEIの視点から「公正な教育」について聞いた。
〜プロフィール〜
1990年、東京都公立学校教員として採用され、八丈島の定時制高校に赴任。生徒との出会いを通じて、不登校支援の重要性を痛感し、その後、夜間定時制高校やチャレンジスクールでの勤務を経て、2021年より現職。「学校が生徒に合わせる」というチャレンジスクール本来の理念を重視し、学校に来られない生徒にも学ぶ機会を提供する「世田谷泉2.0」への進化を推進。 オンライン学習やサテライト支援施設の導入など、公教育の枠組みを超えた柔軟な学びの仕組みを構築し、「登校できないことを苦しみにしない学校づくり」を目指している。
「学校が生徒に合わせる」ことにチャレンジするスクール
ーー世田谷泉高校は、東京都に7校ある「チャレンジスクール」の1つとのこと。まずは、チャレンジスクールとはどのような学校なのか、教えていただけますか?
東京都のチャレンジスクールは、主に小・中学校での不登校の経験や、高校に入ってから登校が難しくなった生徒を積極的に受け入れる学校です。
最大の特徴は、「三部制・単位制・総合学科」という仕組み。自分のライフスタイルや学習ペースに合わせて午前・午後・夜間の時間帯から登校時間を選べる「三部制」、学年制のように留年や進級の概念がなく自分のペースで卒業を目指すことができる「単位制」、そして普通科目に加えて多様な選択科目を学べる「総合学科」が、生徒一人ひとりの事情に寄り添った学びを可能にしています。

このチャレンジスクールの原点は東京都北区にある桐ヶ丘高校という学校で、全国のパイオニアスクールとして設立されました。その際に掲げられたコンセプトが、「生徒が学校に合わせるのではなく、学校が生徒に合わせる」というもの。つまり、「学校がチャレンジする」というコンセプトから設計されたものです。
当時私は伊豆大島の学校に赴任していましたが、このコンセプトを知ってとても素晴らしいと感じ、「これから学校は変わっていくのではないか」と強く期待したのを覚えています。
ーー世田谷泉高校の概要についても教えてください。
世田谷泉高校は平成13年に開校し、今年で25年目を迎えます。生徒の定員は720人で、各年次は各部2クラス(定員30人)の計6クラスという編成になっています。教職員の人数は、専任が約50人、非常勤や会計年度職員はその倍以上在籍しています。
他のチャレンジスクールと同様、三部制・単位制・総合学科の仕組みを持ち、不登校経験のある生徒や、高校進学後に登校が難しくなった生徒を積極的に受け入れています。そのため、入学試験では学力検査や中学からの調査書を課さず、面接と作文での選抜のみ。
この特別な入試制度は都立高校の中でもチャレンジスクールのみに認められているものです。
ーー世田谷泉高校はチャレンジスクールとしての役割を担って開校したとのことで、沖山さんが着任された頃はどのような様子でしたか?
私は令和3年に校長として着任したのですが、チャレンジスクールで働くことを長年の目標にしてきたので、ようやくその願いが叶ったと思い、期待を胸にここに来ました。ですが着任して一週間ほど経った頃、「この学校は本当にチャレンジスクールなのだろうか」と疑問を抱くようになりました。

開校して20年の歳月が経ち、どこか「普通の学校」になってしまっていると感じたのです。これは世田谷泉高校に限らず、多くのチャレンジスクールにも同じ印象を抱きました。
このことを最も実感したのは、合同説明会や学校説明会の場でした。よく隣のブースで保護者の質問に答える、他校のチャレンジスクール担当者の話が聞こえてきたのですが、不登校気味の子どもだが入学したら応援してもらえるか、と不安そうに尋ねる親御さんに対して、「うちは登校を重視する学校なので、登校できないと難しいです」と答えていたんです。親御さんは涙を流しながら、「チャレンジスクールではないのですか?」と詰め寄っていましたね。
そのやり取りを見て、私は改めて「本校は、本来のチャレンジスクールの理念を失わず、登校できない生徒にも学ぶ機会を提供する学校でありたい」と強く思いました。
生徒を支える全ての人と共に、生徒が不登校であることに苦しむ必要がない学校、不登校という概念のない学校・社会の創造を目指し、いつでも・どこでも・どのようにでも学ぶことができる学校。それが、本校の目指している「世田谷泉2.0」です。
投稿できないことを「苦しみ」にしない学校・社会へ
ーー世田谷泉2.0ということは、「1.0」があるということですよね。何が変わったのか、詳しく教えてください。
世田谷泉1.0は、開校してから世田谷泉2.0までの期間を指しています。開校から20年間の実績を振り返ってみると、登校できる生徒の卒業率はほぼ100%である一方で、入学後に登校が安定しなくなり、授業に出席できないために単位が取得できず、卒業まで辿り着けずにいる生徒も3〜4割いる現実がありました。この状況を変えなければ、学校としての使命は果たせません。
大切なのは、学ぶこと。登校できないこと、教室で授業が受けられないことに悩んだり苦しんだりしなくてよいのです。そこで、世田谷泉2.0という新しいビジョンを掲げ、「登校できなくても学ぶことを応援できる学校へ」というコンセプトで、学校を進化させることを決意しました。
法律改正を受けて東京都では、令和6年度から、全日制・定時制課程の不登校生徒が学習を続けられるように、定められた単位数の範囲でオンライン授業や通信教育を活用できる制度がスタートしました。これを受けて、本校でも生徒の多様な学習ニーズに応える柔軟な学びを実現するべく、挑戦を続けています。具体的には、オンライン授業の導入、別室指導、サテライト支援施設の確保などを進めています。

例えば、教室で学ぶことが難しい生徒には、支援員が常駐する別室での学習を可能にしました。また、NPO法人と連携し、学校以外の学習拠点も提供しています。さらにオンライン学習の導入に関しては、東京都には他県に見られる授業配信センターはまだ設置されていないので、本校では教室での対面授業を自宅等に配信するハイブリッドで進めています。
これにより、現在では登校できなくても必修科目の単位取得が可能になり、学びを止めることなく卒業を目指せるようになっています。
ーーこうした生徒一人ひとりの状態に合った手厚い支援や独自の教材準備などは、生徒にとってはありがたい反面、教員の負担は大きくならないのでしょうか?
おっしゃる通り、こうした取り組みで最も大切にしているのは、教員に負担をかけないことです。新しい支援の仕組みを導入することは重要ですが、それを全て教員に担わせてしまっては、教員が疲弊してしまいますから。先生方には、「登校できている生徒への対面指導」に専念してもらい、授業の質をさらに向上させることに力を注いでもらう。これが、私たちの基本的な方針です。
例えば、登校が難しい生徒の支援は、できる限り外部の支援員やNPO法人、ボランティアと連携し、教員に直接の負担がかからないようにしています。教員のみが対応するのではなく、地域の人的資源を活用し、学校全体で支援の仕組みとして機能させること。この形が、持続可能な支援のあり方だと考えています。
この方針を実現するためには、当然ながら資金が必要です。そこで、教育委員会には適切な予算を確保してほしいと訴えています。支援のための予算を確保するために働きかけることも大切なポイントです。
ーー校内や他校のさまざまな教育現場関係者から反対の声が挙がることはありませんか?
確かに、こうした取り組みに対しては、さまざまな懸念や批判的な意見もあります。「登校しなくても単位が取れる仕組みを認めてしまうと、毎日真面目に登校している生徒が損をするのではないか」「登校しなくてもいいという制度ができると、雪崩を打ったように不登校になる生徒が増えてしまうのではないか」という声が挙がることも少なくありません。「学校は登校するもの」という価値観が社会全体に根強く残っている以上、オンライン授業や通信教育の導入には慎重な姿勢を取る学校が少なくないのも事実です。
しかし、本校のように、すでに不登校生が3〜4割いる現状では、「雪崩現象が起きるからやらない」という考え方では、むしろ救えない生徒が増えてしまう。だからこそ、本校ではこうした制度を積極的に活用し、不登校になっても学び続けられる環境を作ることに取り組んでいるのです。
誰のために、何をしようとしているのか?
ーー沖山さんのチャレンジスクールへの思いや、世田谷泉2.0への進化の決意の背景には、ご自身のどのような経験があったのでしょうか?
私の原点は、教員になって最初に赴任した八丈島の定時制高校での経験です。そこで、ある生徒との出会いがありました。
彼は都内の進学校に通っていましたが、不登校になり、「一番遠い場所でやり直したい」と八丈島にやってきた19歳の青年でした。彼とは兄弟のように過ごし、学校生活だけでなく、釣りや登山も一緒に楽しんでいました。しかし、卒業が迫る1月27日の朝、彼は自ら命を絶ちました。前夜まで「また明日」と笑っていたのに、翌朝にはいなくなっていた。その衝撃は、今でも忘れることができません。
彼の遺品として渡された切り絵には、職員室にいる私の後ろ姿が描かれていました。そして、その切り絵には「沖山先生の、沖山先生による、沖山先生のための沖山先生」というタイトルがついていました。これはリンカーンの有名な演説の一節をもじったものです。
私は公民科の教員だったので、民主政治などの授業がきっと印象に残っていたのでしょう。彼がこのタイトルにどんな意図を込めたのかは分かりません。ですが、当時の私は、このタイトルを、「先生がしてくれたことは、本当に生徒のためでしたか?」という問いかけのように感じてしまい、「生徒に寄り添うとはどういうことなのか」を深く考えるようになりました。
ちょうどその頃、社会では「登校拒否」という言葉が「不登校」に変わり始め、「登校できないという実態を子どもや家庭の責任にしない」という意識が少しずつ広がり始めました。八丈島での経験も重なり、私は「不登校に関わる仕事をしたい」と強く思うようになったんです。
そして、平成9年に東京都が不登校の生徒を対象とした「チャレンジスクール」構想を立ち上げたことを知り、「こんな学校ができるなら、ぜひ働きたい」と思いました。世田谷泉高校への着任が決まったとき、八丈島で出会った彼との経験から、「ようやくここに辿り着いた」と感じました。
ーー長年、不登校のテーマやチャレンジスクールにおける学びの環境づくりに取り組んできて、「学校におけるDEI」を考える上で何が大事だとお考えですか?
私たちの目標は、「登校できないことが生徒を苦しませない学校に変えていくこと」です。「平等」と「公正」の違いを示す比喩として、塀の向こうで行われている野球を見ようとする子どもたちのイラストがよく使われていますよね。背の高い子も低い子も皆が試合を観戦できるように、背の低い子には台を用意する。これが「公正な支援」の考え方だとされてきました。

しかし、本当に必要なのは、そもそもその「塀」をなくしてしまうことです。最初から金網にしておけば、どんな身長の子どもでも問題なく試合を見ることができる。これを教育に置き換えるなら、「学校に来られない生徒のために特別な支援を提供する」のではなく、最初から「どんな生徒でも学べる仕組みを作る」ことが、本当の意味での公正なのではないでしょうか。
学校の仕組みも風通しの良いものにしていけば、全ての子どもが学びにアクセスできる環境が整うはずです。学校に登校できないという状況を子どもや保護者の責任にするのではなく、教育の仕組みそのものを変えていくことが必要なのだと私は考えています。
ーー「DEI」を学校に取り入れるために、最初の一歩としてどんなことをするといいでしょうか?
「誰のために、何をしようとしているのか」を明確に持つことが、すべての根幹だと思います。そのために大切なのは、「『誰』の姿をちゃんと見ること」です。
本校で言えば、登校できずに苦しんでいる生徒の姿をしっかりと見ること。少なくとも、実際に会うこと、顔を見ることが重要です。彼らがどんな気持ちでいるのか、どういう状況にあるのかを知ること。それが、学校を動かしていくための私の動機であり、原動力になっています。

実際に顔を合わせ、関わらなければ、彼らの存在は見えづらくなり、学校の取り組みもずれてしまう。だからこそ、先生方にも生徒たちと向き合う機会を増やしてもらうよう伝えています。とはいえ、苦しんでいる生徒に寄り添うのは簡単なことではありません。重たい話を聞くこともあるし、気持ちの整理がつかないこともある。それでも、「どんな気持ちでいるのか」を知ることが、進むべき道を見失わないために不可欠なんです。
最近は、先生方も親の会に参加するようになり、不登校の現実に触れる機会が増えてきました。私自身、ここ4年間、親の会に支えられてきた部分が大きい。もし親の声を直接聞く機会がなかったら、これほど強く思い続けることはできなかったかもしれません。だからこそ、今後は不登校の子どもたちの姿が、より多くの人の目に触れる機会を作ることが重要だと考えています。
彼らが「見えない存在」にならず、社会の中でしっかりと認識され、支えられる仕組みを作ること。それが、本当に目指すべき方向なのではないかと思っています。
ーー最後に、沖山さんの今後の展望についてお聞かせください。
本校での勤務も間もなく丸4年になり、都立高校の校長職の任期としては一区切りとなります。今後異動があるかもしれませんし、再任用の立場なので、これまでのように強く主張できる立場ではなくなりつつありますが、それでも、これまで広げてきた取り組みを定着させ、継続できるようにすることが何より重要だと考えています。
さまざまな制度を整え、新しい仕組みを作ってきましたが、それが一時的な改革で終わってしまっては意味がありません。だからこそ、できる限りチャレンジスクールに関わり続けたいと思っています。チャレンジスクール全体として、まだまだやるべきことは多いですからね。直近の最優先課題は、「サテライト支援施設」の設立と拡充です。学校に登校することが難しい生徒でも、安心して学べる場を確保することは喫緊の課題です。現在1カ所ですが、今後は4〜5カ所に増やし、より多くの生徒が利用できる環境を整えていきたい。
そして、中長期的には、「本当の意味で開かれた学校」をつくることを目指しています。学校が地域に開かれ、多様な人々が出入りし、生徒が社会の多様な姿に触れることができる環境を整えること。それが、私が目指している学校のあり方です。すでに世田谷区と連携し、本校の茶室を活用した、子育て中のお母さんたちの交流の場を「カラフル」という名前でスタートしました。

校内で赤ちゃんの泣き声が響くことに生徒から苦情が出るかと心配していましたが、むしろ興味を持ち、「抱っこしてみたい」と自ら茶室に入ってくる生徒もいました。お母さんたちは安心して話ができ、生徒たちは小さな子どもと触れ合う経験をする。そんな関係が、学校の中で自然に生まれていました。
「開かれた学校」という言葉は昔からありますが、それを単なるスローガンではなく、実際に地域の人が自由に出入りし、生徒たちが社会の多様性を日常の中で感じられる場所にしていくこと。もっと意識的に地域とつながり、学校の中に多様な価値観が入り込む環境を作っていくこと。将来そんな学校の姿に出会えたら、最高ですね。
<取材・文:先生の学校編集部/写真:先生の学校編集部 他>