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マイノリティの生きづらさも豊かさも、丸ごと理解する。自分の中に多様な視点を取り込み、「ひとりインクルーシブ」を進めよう!

マイノリティの生きづらさも豊かさも、丸ごと理解する。自分の中に多様な視点を取り込み、「ひとりインクルーシブ」を進めよう!

皆さんは、LGBTQ+の当事者を理解し、支える「ally(アライ)」の存在をご存知だろうか?
アライとは、LGBTQ+の当事者ではない人が、性的マイノリティを理解しサポートするという考え方やその立場を表す言葉のこと。

教育現場においてもLGBTQ+への配慮が叫ばれる中で、自らアライを表明するのが東京都東久留米市にある自由学園教諭の高野慎太郎さんだ。

高野さんが同校男子部に勤務していた際、当時担当していた生徒が性的マイノリティをカミングアウトしたことをきっかけに、2017年4月に「性の自分らしさを考える自由の会」を立ち上げた。

現在、同校女子部で勤務する高野さんは、性的マイノリティについてだけでなく、生徒が当事者の視点を自分自身に取り込むことをねらいとした実践に取り組み続けている。

高野さんはどのような思いで、多様な立場の視点を持つことの大切さを伝えているのか?詳しく話を聞いた。

※LGBTとは、レズビアン(Lesbian:女性同性愛者)、ゲイ(Gay:男性同性愛者)、バイセクシャル(Bisexual:両性愛者)、トランスジェンダー(Transgender:生まれたときに割り当てられた性別と、認識する性別が一致していない人)の頭文字からつくられた言葉。LGBTQの「Q」とは、クィア(Queer:規範的な性のあり方以外のセクシュアリティ)、クエスチョニング(Questioning:自らの性のあり方について特定の枠に属さない人、分からない人)のいずれかの頭文字を指す。

写真:高野 慎太郎(たかの しんたろう)さん
高野 慎太郎(たかの しんたろう)さん
自由学園女子部 国語科教諭

早稲田大学大学院修了。早稲田大学高等学院情報科助手を経て中国安徽大学外語学院客員研究員・講師、自由学園教員。制作協力を行った『「ジェンダー平等」ってなに?』(公益財団法人プラン・インターナショナル・ジャパン)、編集委員を務める『子ども白書2023』(かもがわ出版)が2023年7月に刊行。編著『日本キャリア教育事始め』(風間書房)、『JSL高校社会科教材プラットフォーム』(東京外国語大学)が2024年3月に刊行予定。


当事者の視点に変身する


――高野さんは、自由学園男子部で「性の自分らしさを考える自由の会」を生徒と一緒に立ち上げたそうですね。この会を立ち上げた経緯について、教えてください。


会が立ち上がったのは、2017年4月です。それまでにも、LGBTQ+の問題を授業で取り扱っていたのですが、あるとき私の授業を受けた生徒が、同じ寮の部屋で暮らす数人の生徒に、ゲイであることをカミングアウトしたんです。

翌日、私のもとに「自分のセクシュアリティを話してしまった。これからどうすれば良いか」「カミングアウトを受けたが、どうしたらいいか」と、カミングアウトをした生徒もされた生徒も、相談しにきたんです。

お話を聞いた高野慎太郎さん


その中で私たちは「カミングアウトをしてくれた生徒を守ろう」という結論を出しました。背景には彼がこれまで、学校のあらゆる場面で辛い経験をしたことを打ち明けてくれたからです。

例えば教室内で、否定的な意味で「ゲイ」や「オカマ」という言葉が飛び交っていたこと。まずは、カミングアウトを受けた生徒たちと私が防波堤になって、彼を守ろう。そんな経緯で、LGBTQ+について学ぶ「性の自分らしさを考える自由の会」が立ち上がりました。


――性的マイノリティの人たちを理解し、守る人たちのことを「アライ」と呼んでいるそうですね。「アライ」とは、何を意味する言葉なのでしょうか?


アライとは、英語で「味方」や「仲間」を意味する【ally】が語源となっています。LGBTQ+当事者を取り巻く理解者の人たちが、「アライ」と名乗っていることが多いです。


しかしマイノリティを理解するということに関して、単に頭で理解するだけでは不十分だと実は思っています。例えば私はときどき、他校の先生から相談を受けてLGBTQ+に関する授業を作ることがあります。

あるときLGBTQ+の授業を終えると、ある子が授業者の先生に「ところで先生はオカマなの?」と聞いてきたことがあったんですね。

すると先生が「いや、そんなわけないでしょ」と答えたんです。その先生はきっと、頭ではLGBTQ+のことを理解して、アライを表明していたと思うんですね。でも肝心なときに、そのようなリアクションをしてしまう。

となると本当に大事なことは、頭で理解することではなく、当事者の立場になることだったんです。僕は、当事者の立場になることを「当事者の視点に変身する」とか「当事者になりきる」と呼んでいます。


――「当事者の視点に変身する」ですか。


はい。生徒と始めた「性の多様性を考える自由の会」の活動は、LGBTQ+に関する文献を研究したり、当事者の方にインタビューをしたりするところからスタートしました。

それで生徒たちも、LGBTQ+についてある程度は理解できたと思っていたんです。でも、その認識が間違っていたことがある出来事で分かりました。

活動を始めて半年ほど経ち、地域のお祭りで生徒たちが性の多様性について伝えるポスターの発表をしたとき、実は、大きな批判を受けたんです。それは「少子化についてはどう考えているのか」「どうしてそんな変わった人たちのことを考えないといけないのか」という言葉でした。

その言葉に、生徒たちはかなりショックを受けていました。

発表後の振り返りの際、一人の生徒が「自分たちは本をたくさん読んで当事者インタビューもして、当事者のことを分かった気になっていた。自分も理解者の一人だと思っていた。でも、今日批判を受けて初めて、当事者の人がどんな世界を生きているかが分かった」と言ったんです。

このとき初めて生徒たちは、当事者が日々感じている批判を自分が浴びることで、当事者の視点に変身することができたのではないかと感じました。

マイノリティの生きづらさも豊かさも、丸ごと理解する


――高野さんは、そもそもなぜLGBTQ+の話題を授業で取り上げようと思ったのでしょうか?


このテーマを授業で取り扱った背景には、私が学生時代にゲイの人たちの存在を知る機会が多くあったことが影響しています。

特に高校から大学院時代にかけて、頻繁に歌舞伎町や新宿2丁目へフィールドワークに出かけていました。新宿2丁目といえば、ニューハーフやゲイの方が多く集まる場として有名ですよね。ここでたくさんの当事者の方にインタビューをしたんです。


インタビューを重ねる中で、メディアなどで報じられる当事者の「生きづらさ」のような辛い部分だけでなく、その人たちの豊かな部分に気づきました。それは、ゲイというたった1つのキーワードを持っているからこそ得られる、連帯感や人間関係の濃密さでした。

私には、その姿がとてもキラキラと輝いているように見えたんです。だから卒業して教員になったときには、ぜひLGBTQ+を授業テーマとして扱いたいと考えるようになりました。


――そこで得た学びを生徒たちと一緒に体験するために、授業で取り上げたのですね。


そうですね。私は単にLGBTQ+について知ってほしいだけでなく、マイノリティをテーマにすることで、その人たちが生きている世界の痛みも豊かさも、自分のものとして感じてほしいと思っています。

アライには、その人の痛みだけでなく、豊かさにも目を向け、自分のものとして感じられるようになる必要があると考えるからです。「マイノリティだからかわいそう」と思うだけではなく、当事者の人たちのことを徹底的に理解していくことで「生まれ変わったらゲイになっても良いかもしれない」と当事者の視点になりきれる瞬間があると思うんですよね。


――確かにマイノリティの豊かな側面に気づくことで、見え方が大きく変わりそうです。


そうなんです。ここまで当事者になりきることが大切とお伝えしてきた一方で、アライたちは本当の意味で当事者になることができないのも事実です。このことに対して、当事者の方から「当事者の辛さは、どうせ誰も理解することができない」と言われたこともありました。

確かに当事者の方は辛い思いをされている。そしてアライたちも、なんとかその痛みを理解しようとしています。この両者の間に優劣のようなものが生まれてしまうと、対等に話ができなくなってしまうんですね。

これは、教室の中でも同じことが起こり得ます。例えばLGBTQ+について、よく知っている人とあまり知らない人がいて、よく知っている人が、知識のない人に対してマウントを取ってしまうと、対話は成立しません。

このように知識や理解度に差がある状態でも、対等に話ができるにはどうしたらいいか?と考えているうちに、他者を理解するということは、マインドセットだけではなく、スキルとして身につけられるものではないかと思うようになったんです。

多様な人の視点や声を、自分の中に取り込む


――スキルを身につけることで、他者理解ができるようになるということですね?


例えば先ほどのように、そのテーマを深く理解した人しか意見を言ってはいけないのだとしたら、そのテーマについて議論できる人数はなかなか増えていかないですよね。

私が勤める学校は一貫校なので、6学年一緒に議論をするとき、中学1年生から高校3年生までその場に参加します。そのようなとき、やはり下級生が意見を言いやすい場づくりが必要になります。

生徒たちと場づくりの工夫について考えていったところ、「相手の話を遮らない」「話している人の方を向いて聞く」「最後まで聞いたら、まずはオウム返しをする」「相手の話を受けて話す」「あいづちを打つ」などが大事だとアイデアを出してくれました。

これらは全てスキルですよね。これらの項目さえ満たせば、議論の場において誰もが発言していいようにしたんです。


――確かにそのスキルがあれば、対等に議論ができそうです。


私が議論の中で特に大事にしているのが、「熟議」することです。

熟議とは、賛成と反対の意見を全て出し、その意見の背景にある思いを丁寧に聴くこと。たとえ相手の意見に賛成できないことがあったとしても、相手の意見を尊重する関係性をつくるのです。

このようなスキルがあれば、いろいろな意見を尊重する社会は実現できる。もちろんマインドも大事なのですが、マインドから入るとものすごくハードルが高くなると思いませんか?

だからスキルを提示して「このルールだけは守ろう」と伝え、議論の場に入ってもらうことを積み重ねていきます。すると次第に生徒たちは「議論が楽しく、豊かな時間だ」と感じるようになっていく。

スキルを身につけることで、自ずとマインドも育っていくんですよね。


――スキルを身につけることで誰でも対話に参加できるという点が、すごくインクルーシブだと感じました。


そうですね。昨今インクルーシブ教育の重要性が叫ばれていますが、今ある壁を取り払うだけでは、ハレーションが起きるだけで、うまく関係性が築けないように感じます。

だからこそ、他者の視点に変身することで多様な人の声を自分の中に取り込んでいくスキルを身につけ、マインドを育むことが必要です。このように多様な視点や多様な人の声を内在化させることを、私は「ひとりインクルーシブ」と呼んでいます。


――「ひとりインクルーシブ」ですか


はい。多様な生徒が通える学校の実現は、今すぐに実現することはできませんよね。でも自分の中に多様な視点をもち、その人たちの声を取り込むことは、今からでもできます。

インクルーシブ教育の形を実現することだけに特化するのではなく、まずは一見一様に見える日常の中から多様性を見い出すスキルを身につけ、マインドを育むことが本当に重要なことだと思います。


――生徒が多様な視点を身につけられるようにするために、高野さんが取り組んでいることはありますか?


僕が担当している国語科の授業では、視点に着目して授業をすることがあります。

例えば、学校の近くにある森へ行きます。森にある切り株って、人間からすると座る場所に見えますが、クマだったら切り株を中心に集会をしているかもしれないしネコだったらその切り株をベッドにしているかもしれない。

このように別の視点になりきります。国語の時間なので、そうした視点を基に詩を書き進めていくのですが、森の中で長い時間を過ごしていると、最初は人間として森の中に入っている感覚だった生徒たちがだんだんと「木が自分を見ている」とか「虫が自分のことを見ている」といったように、他者の視点を得るようになります。


他にも、あるトピックについて肯定・否定の両立場から議論する「IDEAゲーム」にも取り組んでいます。

これは、1つのテーマについて肯定・否定に分かれて議論をするものですが、どちらの立場で議論するかは当日決めます。だから生徒たちは、当日までそのテーマについて、肯定・否定のどちらの意見もリサーチをして授業に臨みます。そうすることで、生徒は複数の立場の視点を獲得していくのです。

ディベートの場合は論破されずに残った方の意見が勝ちますが、「IDEAゲーム」では、その議論の前後で肯定・否定のどちらに感情がどれだけ動いたかで勝敗が決まるんです。つまり、論理よりも感情・共感性に訴えかける手法なんです。

さまざまな視点を獲得できる取り組みとしておもしろいので、興味のある方はぜひ調べてみてください。


【参考文献】
⑴ 高野慎太郎(2022)「市民的リテラシー教育としてのグリーンガイダンス ー映画『タネは誰のもの』への教育現場からの応答ー」『生活大学研究』 7(1),pp.123-138.

⑵ 高野慎太郎(2024)「IDEAゲームの社会的・情動的転回―感情教育としてのIDEAゲームが求められる背景―」『早稲田キャリア教育研究』15(印刷中)


<取材:先生の学校編集部/文:田中美奈/写真:ご本人提供>