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10代の探究者のための全日制マイクロスクール「ラーンネット・エッジ」とは? カリキュラム・ポリシーは、ひたすらやる・自分をひたす・ひたし合う

10代の探究者のための全日制マイクロスクール「ラーンネット・エッジ」とは? カリキュラム・ポリシーは、ひたすらやる・自分をひたす・ひたし合う

20年以上にわたり兵庫県神戸市で展開してきた日本の探究型スクールの草分け的存在である「ラーンネット・グローバルスクール」の系列校であり、より探究を深める場所として2019年に誕生した10代の探究者のための全日制マイクロスクール「ラーンネット・エッジ」。

卒業時期は個人に委ねられ、アートや教養、探究に重きを置いた独自のカリキュラムが魅力だ。窓から見える緑が美しい開放感ある教室では、現在小学5年生から中学3年生までの11名が学んでいる。

いったいどんな学校なのか、スクールの立ち上げストーリーから授業の様子、設立3年目を迎え今春初めての卒業生を送り出した今思うことなど、代表の駒﨑智紀さんと奥村尚子さんに話を聞いた。

写真:ラーンネット・エッジ
ラーンネット・エッジ
駒﨑 智紀(こまさき とものり)さん
ラーンネット・エッジ代表 兼 ナビゲータ

奥村 尚子(おくむら なおこ)さん
ラーンネット・エッジ ナビゲータ


自分の中に火を灯し、人と互いに照らし合う

まず初めに、ラーンネット・エッジの設立理念と、大切にされていることについて教えてください。

理念は「Oplysning(オプリュスニング)」というデンマークの言葉ですね。

この言葉はラーンネット・グローバルスクール代表の炭谷俊樹が以前から掲げてきたものなんですが、「自分の中に火を灯し、人と互いに照らし合う」という意味です。

現行の学校システムでは、何かを添加したり、上に積み上げていくという考え方が強いですよね。けれど、思春期と呼ばれる10代の彼らにとっては、それよりも「自分の良いところ」や「自分の中にあるものだけれど、好きではないもの」についても、ちゃんと知って受け入れていくということが重要だと思っているんです。

ここでは「自分を温める」ことを中心にしたいと思い、自分の好きなことを探究することと内省する時間を多くとっています。

人と人とが照らし合っている様子をモチーフにしたロゴマーク

2つの円が光を照らしているような学校のロゴもすごく素敵ですね。

ロゴで描かれる2つの円は、人と人とが照らし合っている様子をモチーフにしています。

この2つの円は、接するか接しないかという状況なんですが、お互いが出会うことで自分も変わるし相手も変わる、という変容の状態を表しています。

出会うものは、自分と社会だったり、他にもいろいろと置き換えることもでき、非常に抽象度が高いんですね。

実は、最初円は1つだったんですが、やっぱり出会って影響し合うということを表すには2つ必要だということで、こういう形になりました。

午前中はアートや教養、午後は探究、といったカリキュラム(写真参照)が特徴的ですが、それぞれを科目として選ばれた理由は何だったのでしょうか?

午後は探究の時間がたっぷり用意されている

通常の学校ではやりたいことができないフラストレーションのたまっている子が、とことんやりたいことができるスクールであることを目指し、カリキュラムを考えました。

そしてでき上がったカリキュラム・ポリシーが、

1)「ひたすら」やる
2)自分を「ひたす」
3)「ひたし合う」


の3つです。3つを偏りなく、かつ今通っている子どもたちに合わせて調整しています。

例えば、分かりやすいのは「アート」ですが、これはまさに「ひたす」科目です。アートって直接的でなく、押しつけがましくなく、作品を通じて自分を知ることができるものですよね。

さらに、4人の講師に来ていただくことで、経験の幅が拡がるようにしています。

金曜日に実施している「自由への教養」は、横浜の知窓学舎の矢萩邦彦さんに担当していただいています。

私たちは、「教養がある」というのは「多面的なものの見方ができる」ということだと考えていますが、この時間には、例えばニュースの見方一つとっても、何でこれがニュースになるんだろうと批判的に物事を見たり、ロジックの飛躍を見つけたり、他にも教科書に書かれた地理や歴史というものを少し違った視点で見てみたり、というのをやっています。

「ひたす」科目である「アート」の時間の様子

午後は「マジ探究」といって、自分が今まさに興味があって取り組みたいテーマについてひたすら取り組む時間なんですが、それは一方で、ある分野に視野が狭まってしまうというリスクも持っているんですね。

それによって不自由な人生になるのは嫌だなと思うので、他者への想像力をもち、自分自身や物事の本質をより深く理解できるように、教養の科目を入れています。

あともう少し学際的に、世の中で話題になっているテーマをこちらから提供するのが、火曜日に実施している「Connect(コネクト)」ですね。社会との接点を持ち、視野を広げてもらうためにやっています。


子どもがやりたいことを見つけるための大人の関わり

「マジ探究」の時間を少し拝見させていただいたのですが、作曲をしていたり、アニメをつくったり、プログラミングしたりと、本当にさまざまでおもしろいですね。

そうですね。例えば、風景画から始めて今は猫のキャラクターの絵を描いている子がいます。

はじめは自分の楽しみのために描いていたのが、徐々に関心が外に向かうようになって、5月には自主開催で個展をやります。

ある子は毎日すずめや鳩や猫の写真を撮りに行っています。

彼は自分の撮った写真について言葉で多くを説明することはないのですが、あるとき、私が担当していた文学の授業で、「ウーフはおしっこでできてるか??」(神沢利子『くまの子ウーフ』)という作品を読んだんです。

それはウーフが「自分は自分でできている」というのを発見する物語なんですが、彼は年度末の振り返りで印象に残った作品としてそれを挙げて、「ウーフの中にあるのは、驚きと発見!」と書いていたんです。

それを読んだとき、彼がどのようにすずめや鳩を見ているか、少し理解できたように思いました。それは、彼の「マジ探究」の部分だけを見ているのでは分からなかったことでした。

午後の「マジ探究」中の様子。黙々と没頭する子どもたちの姿が印象的

私たちは朝から夕方まで彼らと一緒に過ごしていて、それぞれの子のいろんな面を丸ごと見ているので、日々気づかされることがたくさんあります。

毎日子どもたちの様子をスタッフでシェアしていますが、まず「よく見る」ことが私たちの大切な仕事だと思っています。

「マジ探究」の時間は、子どもたちそれぞれがやることや、やり方も違うと思うのですが、何か共通の決めごとはあるのでしょうか?

自分の探究したいテーマに取り組む時間だということは伝えますが、ルールなどは設けていないですね。

特に決まったやり方があるわけではなく、1年目に入学した子たちが試行錯誤してくれたおかげで、その後から入ってきた子たちはこの時間がどういうものか、見て分かる感じになりました。

明言してはいないのですが、「人の探究の邪魔をしないこと」くらいでしょうか。

入学の条件として「探究したいテーマが一つ以上ある人」と謳っていることもあり、基本的には邪魔をすることはほとんどありません。あとは毎週面談があるので、そこで困っていることがないか聞いています。

入学の条件は「探究したいテーマが一つ以上ある人」

やりたいことがないという子が今すごく多い中で、これだけやりたいことが見つけられる理由はどこにあるのでしょうか?

一つは、「親御さんが守った」ということだと思います。

多くの親御さんが、あらゆる選択肢を子どもに与えて選ばせようとしますが、それによって子どもは埋め尽くされるんですね、時間も余裕も。

だから与えすぎず、「本人が興味を示しているものを守る」という親御さんの関わりは影響しているように思います。

与えられたものに、楽しく取り組んでいるように見えるかもしれない。けれど、それが「本当にやりたいことかどうか」は、よく見る必要があると思います。

お話を伺ったナビゲータの奥村尚子さん

それは、子どもの興味が自然とにじみ出て生成されていくような過程を待てなかったり、ある意味無視して与えてしまうからなのでしょうか?

待った方がいいかどうかさえ考えていないかもしれないですよね。「何もしない時間があることによって、その子が自分のやりたいことを見つけられる」という考えはないかもしれない。

学校がつまらないと言ってるから何かおもしろいことを探してあげなければ、という考えに自然となってしまっているのではないかと思います。

もしかすると、その子を本当の意味で見てないのかもしれないですよね。世の中のトレンドであったり将来役に立ちそうという理由で、英語とかプログラミングを選んでしまう。

当スクールに囲碁棋士を目指してる子がいるんですが、そのきっかけは、お母さんがその子の特徴から囲碁や将棋に向いていると思ったからだそうです。

そこで本人に「囲碁か将棋のどっちがやりたい?」と尋ねたところ囲碁を選び、すぐに夢中になりました。それは、本当にお母さんがよくその子を見ていたからこそ、差し出せた選択肢だと思います。


先生ではなく、対話によって刺激し合い、共に学ぶナビゲータ

ラーンネット ・エッジの校舎。
現在、小学5年生から中学3年生までの11名が学んでいる。

子どもたちがみんなフラットで、いざこざやいじめなども起こらなさそうに見えました。

あまりないですね。やはりちゃんと「自分がある」ということが重要なのだと思います。

自分をどっぷりひたせているというのがまず一つですね。トラブルが起きる原因って結局相対評価だと思うのですが、ここでは年齢もやっていることも実力も違うので、そもそも比べようがないんです。

違うのが当たり前」というところからスタートしているので、揉める理由があまりないのかもしれません。3年経ちますが、間に入らないといけないようなトラブルはないですね。

この春、初めての卒業生を送り出したということですが、卒業後の進路について教えていただけますか?

中学3年生で高校進学するために3名が卒業しました。

一人はバイオリンを弾いている子で、入学時から目指していた音楽科のある高校に進学しました。もう一人は英語に興味があり、英語に強い通信制の高校に進学しました。

最後の一人は受験勉強をして、私立高校に入学しましたね。3人とも学籍は地元の学校に置いていたので、高校の受験資格もありました。

お話を伺った代表の駒﨑智紀さん

自治体によっては学籍が置けないケースもあると思いますが、この地域に関しては、通常の義務教育である小学校・中学校は出席扱いになるということですか?

そうですね。在籍が認められないケースは今のところほとんどありません。ただ、出席扱いになるかどうかは学籍のある学校の判断によりますね。

高校受験の際に、内申書や成績表の提出が求められることもあると思うのですが、どのような形で中学校に共有されていますか?

毎学期、通知表の代わりに「Letter from Edge」という各講師からのメッセージをまとめたものを出しているので、在籍校にはそれを共有しています。

成績表は提出していません。数値評価はできないということを明記して、別添をご覧くださいという形にしています。

ラーンネット・エッジの子どもたちを見ていると、私たちが経験してきた教科学習とは全く違うので、学びとは何なのだろうと思わされますね。

学ぶというのは、ある意味「部分的」なことですよね。

それよりも自分をどう見つけていくか、どの辺に自分の輪郭があるのか、社会との境界線はどこにあるのか、そんなことをいろんな角度から探っています。

これをひと言で「学び」と表すのが適当か、ちょっと分からないです。

駒﨑さんも奥村さんも、先生ではなく、
対話によって刺激し合い、共に学ぶナビゲータの役割を担っている

この場所では、大人も教える先生というより、ただ人としてそこにいるという感じですよね。

当スクールでは、私たちのような存在を子どもの学習を側面支援するという意味で、先生でなくナビゲータと呼んでいます。

子どもとの対話によって刺激し合い、共に学ぶことが役割なので、聞かれたことに素直に答えて、本当に思ったことだけを伝える。そういった人と人との関わりを大切にしています。

今日ご覧いただいたと思いますが、私たちも、各科目を担当している講師たちも、例えば言葉遣いはいわゆる子ども向けではないですね。

子どもを子ども扱いせず、「私たちはこう考えている、こんなものの見方をしている」ことを伝えて、対話している。

少し先に生きている人としてフラットな立ち位置にいるといえるかもしれないです。

こういったスクールが今後全国的に増えていくような気がしました。

多様性があるというのは、少数派がたくさん存在しているということだと思うんです。

そもそも既存の学校教育の枠組の中で多様化を実現するのは結構無理がある話で、いろんな学校が存在し得る状況をつくる方が自然な状態だと思います。

そのためには、フリースクール通学補助や国からのサポートが充実し、制度が変わっていく必要があります。そうなると、本当の意味で多様化が起きると思っています。


〈取材・文=橋本 淑子/写真=中庭 廣子〉